日航123便 鎮魂の賦

運命のJA8119

(当時のNHK報道特別番組から)

 

 

0.初めに

 1985年(昭和60年)812日、羽田空港を1812分に飛び立った日本航空123便大阪行きボーイング747SR46JA8119)は、1824分頃大島上空付近を飛行中に突然垂直尾翼と油圧の大部分を失うという緊急事態に陥り、乗員の懸命の操縦にもかかわらず約30分にわたる迷走飛行の末、1856分頃群馬県上野村にある御巣鷹山(正確には高天原山)の尾根に墜落。乗員乗客524名のうち520名を失うという、単独航空機事故としては現在に至るもなお史上最悪の大惨事となってしまいました。

 

 当時私は19歳、大学を目指す浪人生でした。事故当日は夏休みということもあり予備校もなく、夕方に出かけて笹塚のゲーセンで遊んでいました。後から考えると、この遊んでいた時間がまさに123便が迷走していた時間でした。自宅へ戻り夕食を取りながらボンヤリとテレビを見ていると、「東京発大阪行きの日航ジャンボ機が行方不明」のニュース速報が流れ、思わず台所にいた家族に「げ、日航機が行方不明だって!」と大声を出した事をはっきりと覚えています。急いでNHKにチャンネルを変え、しばらくすると当時NC9(ニュースセンター9時)のメインキャスターだった木村太郎氏が登場し報道特別番組が始まりました。

(無残な姿をさらす主翼部分の残骸

それからの24時間は、私にとってももっとも長く、そして忘れられない時間でした。坂本九氏を初めとする多くの著名人の遭難、二転三転する墜落地点、遅々として進まない救出活動、ようやく特定された無残な事故現場に残る「JAL」マークの翼、そして全員絶望と見られた中の奇跡的な4名救出・・・。朝方うとうとしただけでほとんど寝ずにぶっ通しでニュースを見続けていたなんて、後にも先にもこれっきりではないでしょうか。

(川上 慶子さん救出の様子)

早いもので事故から今年で20年目を迎えました。私は親戚知人を含め、この事故の直接の関係者ではありませんが、若い方の中にはこの事故を詳しくは知らない方も多くなっていると聞きます。また、事故15年目あたりから出回り始めたコクピット内の音声記録や通信記録、事故調査委員会の疑問点だらけの最終報告書と、それに便乗するかのような様々な憶測に基づく事故原因の推定等、だんだん何が真実であるか当時の記憶のある私でもわからなくなってきています。

 

このページを立ち上げたのは、ひとえに、あの事故を風化させてはならない、ただの興味本位で終わらせてはならないという思いに尽きます。原点に立ち返り、正しく後世に事実を伝えるべく、加えて亡くなられた520人の方々の魂の安からん事を願うものであります。

 

1CVR(コクピットボイスレコーダー)音声・ACC交信記録

リンク先をクリックすると該当部分の音声が聞き取れます。なお、現在までにネット等で出回っているものを可能な限り収集しました。

 

2.憶測を呼ぶ事故原因(工事中)

3.真の安全を目指して(工事中)

4.リンク(工事中)

 

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