新・翻訳アップグレード教室

(1)

翻訳という作業は、ともすれば原文に「ひっぱられる」傾向がある。そこをきちんとした日本語に「引き戻す」ように心がけなければいけない。いくつか簡単な例をあげよう。
 A ペンが五本、机の上にならべられていた――「上に」は不要だし、日本語ではこういう受動態は不自然。「ペンが五本ならべて机に置いてあった」が流れのいい自然な訳だろう。
 B footprints in the snow 雪の中の足跡――ではまちがい。足跡は雪にめり込んでいるからinが使われるだけだ。「雪の上の足跡」が正しい。おなじくdead in the water も「水中であがきがとれない」のではなく「水(の上)に浮かんだまま動けなくなっている」状態のこと。ちなみに前置詞は訳さないほうがいい場合が多い(「ベッドの上に寝ている」とはいわないでしょう?)。
つぎはちょっと高レベルになるが、英語のSVOをそのまま日本語に置き換えるとおかしくなってしまう例。
 C 彼は銃を撃った――He fired the gun.をそのままこう訳すと、日本語では「銃を狙って撃った」ことになるというねじれが生じる。「弓を射る」とはいわず、「矢を射る」というがごとし。 「撃った」は、「彼は銃で〜を撃った」という文で使うべきだ。この原文は訳しづらいが、「彼は発砲した」とすべきだろう。
 D 彼女はコンロに火をつけた――これも、コンロが燃えているのかと思ってしまう。「コンロに火を入れた」とすべきだろう。
英語の性格上どうしても使わなければならない言葉をそのまま訳すとおかしなことになる場合もある。
 E 彼女はワインのボトルを持ってきた――これではまるで「空き瓶」を持ってきたようだ。a bottle of wineは「数えることのできない」(銘柄として表現する場合などはべつ)ワインをbottleにこめることで「一本」「二本」と数えられるようにする ための表現だから、日本語では「ワインを(一本)持ってきた」とすべきだ。あなたの彼女、キッチンから「ワインのボトル」を持ってきますか? 常識でわか ることだろう。
長くなったので、きょうはこれまで。

 

(2)

専門用語――というほどではないが、原語がおなじでも場合に応じて訳し分けなければ言葉がある。
 例えばcrewは、民間の旅客機なら「乗務員」、軍用機なら「乗員」「搭乗員」(地上の整備員ground crewは「地上員」)、艦船なら「乗組員」、ヨットなら「クルー」としなければならない。しかも、船の場合は有資格船員や将校(いずれも officer)と乗組員を区別しなければならない。このなかでは、「乗員」が比較的幅のひろい言葉なので、使いやすいだろう。
 fire control のように、軍事用語として厳密には火器管制(空軍)、射撃指揮(海軍)、射撃統制(陸軍)と訳し分けなければいけないような言葉は、さらに厄介だ。細かいことをいえば、日本帝国海軍では艦載機と搭載機も意味がちがっていたが、これはたとえ空母であっても、最近は「艦載機」で差支えがない。
 また、陸軍は「士官学校」、海軍は「兵学校」であるという知ったかぶりの指摘もあるが、どだい兵科士官向けの教育課程であった日本帝国海軍の兵学校と Naval Academyで兵科士官のみを養成するわけではないアメリカ海軍とでは、制度がちがう。これも「海軍士官学校」で差支えがない。
 report (~to, ~for) 「(どこどこに、これこれの地位の人間のもとに)出頭する、出勤する」という動詞についても、よく誤訳を見かける。これは前置詞がつくのだから自動詞で、他動詞の「〜を報告する」とは異なる。自動詞でも「報告する」の意味はあるが、そのときには~onなどの前置詞がつき、「〜について(だれだれ に)報告する」という形をとる。さらに、report toのあとにthe Presidentといった「人間」が来る場合には、「直属する」の意味になる。
 今回はやや専門的な話が多かったが、これにて終了。

(3)

今回からこの懐かしいタイトルです、>昔の生徒の皆さん。
 今回は「思い込み」の話です。英語の勉強をするうちに、固定観念がすり込まれてゆく。単語やイディオムに対応する日本語が、ひとつだけぱっと頭に浮かび、そこから離れられなくなる。例を挙げよう。
 obsession 「強迫観念」「妄想」……ふつうは「思い込み」「頭から離れないこと」程度の意味しかない。そう、まさに前述のとおり。
 instinctively 「本能的に」……蜂を手で払うようなときに使われる副詞で、ふつうは「とっさに」「反射的に」。
 as far as I'm concerned 「わたしに関する限り」……ではない。「わたしとしては」「わたしはこう思うが」
 from 「(ある場所)から」……自分の位置を基準に考えると、「〜まで」と訳したほうがよい場合が多い。「向こう岸から1km(のところにわたしはいる)」ではなく「向こう岸まで1km」――といった場合など。
 a few 「数〜」……ではなく、「数十〜」の場合もある。あえてdozenを使わないことが多い。日本語の「数〜」は「二、三」「四、五」だが、a fewとイコールではない。実例がいくらでも挙げられる。
 in fact 「じつは」……じつはそうではない。「ところが(じっさいは)」「それどころか」「むしろ」でつないだほうがよい場合が多い。前の事実と対比させ、あるいは前言をひるがえして事実を述べるときの前置き。
 どうです? 冷や汗が出てきたでしょう? この項はto be continued……

(4)

 前項のつづき。思い込みに注意すべし。
 subway station(地下鉄の駅)におりていったら、 trainがはいってきた――という状況で、trainを「列車」と訳してはいけない。trainは「車輛が連なったもの」で、たしかに地下鉄も列車では あるが、地下鉄の駅にはいってくる車両は「地下鉄」というのが自然な日本語だろう。「電車」でよい場合もあると思う。ただ、アメリカなどは長距離列車の鉄 道が電化されておらず、ディーゼル機関車の場合が多いから。安易に「電車」という言葉を使うべきではない。
「機関車」といえばengineだ。これも「エンジン」だと思い込んではいけない。「消防車」の場合もある。自動車のエンジンはむしろmotorと呼ぶことが多い。rocket motorは逆に「ロケット・エンジン」と訳したい。
 話を戻そう。subwayというのはtrainも含めたシステム全体を指すのだが、日本語ではこういう区別が曖昧になる。タイヤをホイールごと交換する 場合でも、「タイヤ交換」という。英語ではtireはゴムの部分だけだ。車輪全体はwheelになる。アルミ・ホイールなどと呼ばれる部分はrimであ る。
 こういった日本語と英語のずれに無頓着に訳してはいけない。翻訳者たるもの、自然な日本語を使うように心を砕かなければならない。

(5)

 前項のつづき。やはり思い込みに注意……
 アメリカ国家の歌詞をおぼえているひとはめったにいないだろうが、And the rocket's red glare, the bombs bursting in air... という部分がある。もちろんこれが書かれた時代には、宇宙ロケットなどないから、これは狼煙のような合図に使う「打ち上げ花火」や「火矢」のたぐいのことだ。中国で「火箭」と呼ばれるものが13世紀に使われたという記録がある。これがrocketの嚆矢であろう。おなじように、missile という言葉も、元来は「飛び道具」のことだった。
 こういうふうに、その時代にはなかった物事をあるように錯覚する考証の不備にも、気をつけなければならない。
 例えば、メートル法が確立したのはフランス革命のころだから、それより何世紀も前の帆船の時代の小説を訳す際にメートルという単位を使うのはおかしい。水戸黄門が「助さん、米2キロ買ってきてくれ」というようなものだ(そんな買い物は頼まないだろうが)。
 これはあまり知られていないことだが、腕時計ができたのは大戦間で、もともとは軍隊用だった。懐中時計をポケットからいちいち出していたのでは不便だっ たからだ。しかし、ポケットに守られていない腕時計は水に弱かった。そこでロレックスが1926年にオイスターケースを考案した。1910年代には腕時計はかなり普及していたようだが、それでもwrist watchと断られていない場合には、懐中時計かもしれないと疑ってかかる必要がある。
 コンピュータという言葉も新しい。40年ぐらい前の海外テレビドラマでは「電子頭脳」「電子計算機」などといっていた。これは衒学的になりすぎるだろうが、〈コンバット〉ではヘルメットといわず、「鉄兜」といっていたように思う。
 本日はこれまで。


(6)

きょうは着るものの話。
 アメリカではelevator、イギリスではlift――というような事柄はあまりまちがえない。しかし、vestjumperはそれぞれイギリスで は「下着のシャツ」「プルオーバーのセーター」を表わすにもかかわらず、「ベスト(チョッキ)」「ジャンパー」と訳されているのを散見する(いや、訳され ていないのだ。ただカタカナに直しただけで)。軍隊ではblouse は「シャツ」ではなく「軍服のジャケット」のことなのだが、これも誤訳されているのをよく見かける。これもまた「思い込み症候群」のひとつだろう。辞書をきちんと引けば避けられることだ。coatも「コート」とはかぎらず、「ジャケット」 を指す場合が多い。

(7)

『商品名辞典』ができてから、固有名詞の調べものはずいぶん楽になった。おまけに最近はインターネットという道具もある。Googleで検索すれば、たいがいのことはわかる。念を入れて調べれば、恥ずかしい誤訳は防げるはずだ。
 先日ある翻訳書で、「オランダ級潜水艦」と訳されているのを見つけた。原文はHollandにちがいない。ホランドといえば潜水艇の考案者として有名な 人物だ。だいいちオランダの公式名称はNetherlandsだから、Hollandを「オランダ」としてしまうのは、いくらそういう意味もあるとはいえ、 いささか恥ずかしい。Googleで調べればすぐにわかったはずだ。
 これはちょっと専門的になるが、別の本ではZSU −23/4自走高射機関砲を「高射砲」とする誤訳も見かけた。これも手もとに資料がなくても、インターネットで調べればすぐにわかることだ。まず、「砲」というのはふつう口径37ミリを超えるものを指す。16〜37ミリが機関砲というのが、米軍の基準になっている(旧日本陸軍では20ミリ以上が機関砲)。もっと口径が小さいものは機関銃と呼ばれる。ただし、時代を遡ると、37ミリの歩兵砲もある。
 それはそれとして、海軍では艦載砲熕兵器の14.5ミリ、20ミリ、37ミリ、40ミリがすべて機銃と呼ばれるからややこしい。
 ZSU−23はその名のとおり23ミリだから機関砲だ。4は銃身が四つある「四連装」を意味する。ZSUSはロシア語では「自走」のことで、つまり戦 車のような形をしていて、自力で移動できるタイプのものを表わす。牽引されるタイプはSがなくZU−23高射機関砲と呼ばれる。
 旧ソ連軍の兵器で「高射砲」といえばZSU57/2が典型だろう。自走式・口径57ミリ・2連装であることが、この名称からすぐにわかる。
 原文がAAAAnti Aircraft Gun)で、だから「高射砲」と訳したのだろうが、横着してちょっとした調べ物を怠るとこういう結果を招く。

(8)

 きょうは下訳の話。僕の場合、1年に2本ぐらいは、どうしても下訳を使わざるをえなくなる。しかし、それでどれほど労力が減るものだろうか?

 僕はどの作品でも訳了までの延べ日数を記録しているのだが、シリーズのほぼおなじ長さの作品の場合、下訳のあるなしによる差は10〜15%程度でしかない。つまり、延べ50日かかる作品であれば、下訳があった場合、42〜45日に短縮できることになる。

 かといって、下訳料をこちらの取り分の10〜15%にするわけにはいかないから、大きな仕事以外の場合は、出来にもよるが3割ないし5割を支払うことになる。あまり割りのよい話ではないが、労働の正当な対価ということを考えればやむをえないだろう。

 もっとも、これは良心的な訳者の場合で、下訳をあまりチェックせずそのまま出版社に提出し、なおかつ下訳料もろくに支払わないというたちのわるい人間もいるから気をつけなければいけない。先生と称するもののなかには、デビュー作やその後の作品の印税まで、紹介料・指導料といった名目でふんだくるやからもいると仄聞する。僕たちの世代ではまず考えられないことだが、すこし前までは、それが平気でまかり通っていたようだ。

 逆に、下訳者として、責任ある仕事をやるためには、どうしたらよいだろうか? まずは、細かいことだが、表記に気を配るということがある。下訳を頼む場合、その点をかならず念を押すことにしている。

 たとえば、「今行ってきました」では字面が悪いから、ふつうはどうしても「今、行ってきました」とするだろう。しかし、仮名にひらけば、「いま行ってきました」で違和感もなく、よけいな「、」を入れる必要もない。また、出版社によってはルビをふる基準が決まっているから、ルビをいちいちふられるのを避けるには、仮名にひらく必要がある。「ドアが開いた」と表記すると、「あいた」なのか「ひらいた」なのか? と、読むほうにストレスがかかるから、いずれも仮名にひらいたほうがよい。

 といったことを挙げるときりがないのでやめておくが、とにかくまずは表記に気を配る(依頼した訳者の表記に近づける)必要がある。

 それから、一定のペースを維持し、納期を守ることも重要だろう。ただし、納期を守っても、杜撰な訳ではなんにもならない。拙速を尊ぶという発想は通用しない。

 疑問点などは、原書のページも含めてメモにしておかなければならない。「ここがわかりません」というのを明確にしておく必要がある。

 よくいうのだが、難しいところは間違えたりわからなかったりしてもしかたがない。だが、単純ミスは困る。目の醒めるようなファインプレーはいらないのだ。基本に忠実に、そして地道にやってほしい。翻訳という仕事は一から十まで、辞書をひくことがもっとも重要だ。知らない単語があるから辞書を引く、というのはプロの辞書の引きかたではない。プロは知っている単語でも辞書を引く。頭に浮かんだ語義でまちがいないか、もっとよい訳語はないか、これまでの解釈から一歩進んだ解釈があるのではないか……あらゆることを想定して辞書を引く。スポーツでも芸能でも(特殊部隊でも)、優秀なプロフェッショナルほど基本を守り、念には念を入れ、細かいことにまで心を砕く。

 きょうはこのあたりで――次回は辞書の話をしよう。

(9)

 今回は辞書の話。

 パソコンの心得のある訳者はたいがいDDWinをインストールし、ランダムハウス第2版やリーダーズ・プラスなどを串刺し検索できるように、自分なりの「電脳辞書」をこしらえている。しかし、ここではその話はしない。あくまで紙の辞書の話。

 書棚の軍事用語や航空用語、経済用語などの専門的な辞書はべつとして、僕のデスクには4冊のあまり大きくない辞書が置いてある。(1)「岩波新英和辞典」(補訂版)、(2)「新クラウン英語熟語辞典」、(3)「ウィズダム英和辞典」、(4)「新潮現代国語辞典・第2版」の4冊である。

 革装の(1)はもう20年近く使っていて、1冊は使いつぶし、これは2冊目になる。あまり知られていないが語義が正確な辞書で、法律用語や軍事用語もあんがいきちんと載っている。1冊目から、付箋を貼り、自分なりの語義を書き込んできた。この2冊目は、1冊目の書き込みを転記してあり、なおかつ表紙を自分で修理して使っている。

(2)は手もとにあるのは第3版だ。そもそも英語はイディオムの原語なので、DDWinの画面をスクロールしてゆくより、この辞書を先にひいたほうが能率がいい。それに、イディオムはひとによって細かい差のあることが多く(getを使うかhaveを使うかというようなこと)、辞書のページを追うほうが見落としが少ない。

(3)はおととし出た新しい辞書だが、たいへん重宝している。ランダムハウスやリーダーズに載っていない新しいいいまわしも収録されている。Cobuild Advanced Learner's English Dictionaryからも丁寧に言葉を拾っているので、見比べるとよいだろう。この辞書については、いずれ紙面をあらためてとりあげたいが、おととしの「ブッシュの戦争」を訳しているときに非常に重宝したといっておこう。

(4)は1985年に出た第1版を2000年に改訂増補したもので、これも第1版から愛用している。用例を近代の小説から採用しているのが特徴だが、なぜか山田詠美の「ひざまずいて足をお舐め」と谷崎の「痴人の愛」がならんでいたりするのが不思議だ。

 この国語辞典に載っていないような言葉を捜すときには、大辞泉第1版を使う。巻末に以前は独立した一冊の本だった「色の手帖」が含まれているのも便利だ。第2版では、なぜか「色の手帖」は省かれてしまった。

 おのおのの辞書については、いずれまた詳述する。

(10)

 だれでもパソコンや電脳辞書を自分の使いやすいようにカスタマイズするということをやっているだろう。紙の辞書もそういうふうに自分仕様にするといい。訳語を辞書に書き込むことについては前に触れたが、ここでは『最新英語情報事典・第2版』(以下『英情2』と略す)をカスタマイズする方法を説明しよう。

 必要なもの――付箋、鋏、糊。『英情2』

 第2版とはいっても1986年の改訂で、いささか古いのだが、それでもじゅうぶん役に立つ。情報のかなりの部分が《ランダムハウス》に取り入れられているが、《ランダムハウス》は電脳辞書で使う場合が多いだろうから、こちらはこちらで役に立つ。

『英情2』を活用するには、重要な図表のページをぱっとひらくことができるようにするといい。そのために、付箋を半分ぐらいの長さに切り、糊でページの隅に貼って、見出しを書き込む。僕の「常用ページ」をいくつか挙げよう。

 P226 ハイウェイ・パトロールの組織

 P307 ワシントン市警の組織

 P460 米連邦議会の常任委員会

 P847 会社組織

 P926 米国の教育制度(これは『プログレッシブ英和辞典』にも載っている)

 P1051 ロサンゼルス郡保安官事務所の組織

 P1110 ペンシルベニア州警察の組織

 P1229 アメリカ合衆国政府機構

 P1269 ホワイトハウス事務局スタッフの役職名

 P1270 ホワイトハウス(見取り図)

 ちなみに、図表のタイトルは索引に太字で記されているので、それを見て自分に必要な場所に付箋を貼るといい。このテクニックは、他の資料でももちろん使える。辞書と鋏は使いよう――というわけ。背表紙に近いところに貼るとめくりにくいよ。念のため。

(11)

 きょうは小さな辞書の効用について。

 中高生の学習辞書も、なかなか馬鹿にしたものではない。いまの版は知らないが、『ニュー・アンカー英和辞典』には、なかなか役立つ付録が巻末についている。「1.重要補の日英比較」を見れば、shoulder=肩ではなく、「背中」と訳したほうがよい場合もあるとわかる。thigh=太腿ではなく、「膝」のほうがよい場合もある。waist=腰ではなく、hip=尻ではない。waterには「湯」もふくまれる。fryは「揚げ物」とはかぎらない。「2.ジェスチャーの日英比較」も役に立つ。うちにあるのは第2版第10刷(1992年)までで、新しい版はずっと見ていないので、こうした付録が継承されているかどうかはわからないが、この手の英和辞典は古書店でも安く手にはいるはずだから、古本屋歩きのときにでも捜せばよいだろう。

 勤めをしていたころ、通勤電車のなかで使うのに役立ったのは『表音小英和』だ。15×9センチぐらいの辞書だが、発音記号、前置詞や数詞などを省き、その分収録語数を増やして、あくまで単語の意味を知る辞書に徹底している。以前はペイパーバック風の装丁のものがあって、電車でペイパーバックを読むと気にそれをさんざん使ったものだが、現在は革装しかないようだ。携帯には革装のインディア・ペイパーのほうが便利だろう。この辞書は『GEM』などよりずっと役に立つ。

『コンサイス時事英語辞典』もちいさいが便利な辞書だ。1999年に改訂され、『新コンサイス時事英語辞典』となったが、残念なのは本文中の地図・表・グラフが減らされて巻末にまとめられたことだが、語義記述はかなり現実に即したものになっている。マスコミ関係の表現を訳すときなどに重宝する。

 こうした小さな辞書が使いこなせるようになれば、いちだんと訳文のブラッシュアップが図れるはずだ。

(12)

きょうは小さな大辞典の話をしよう。
 ちかごろは英和辞典でも動詞の求める文型がわかるようになっているものが多い(『ジーニアス』など)。以前はなんといっても「ホーンビー」だった。 Idiomatic and Syntactic English Dictionary というこのちっちゃな辞書は「新英英大辞典」と称している。高校時代から使っていたのがぼろくなったので、古ハンカチとボール紙で装丁し直したのが写真のやつ、すこし大きな版になった新しいものもならべよう。
 この系譜の辞書にはほかにOXfordAdvancerd Lerner's などがあるが、とにかく日本人のための英英辞典であるだけに語義の説明がわかりやすいのがいい。「英文法に弱い」と思っている向きには必携だろう。どんな長文でも、主語と述語さえしっかり把握すれば、あんがい誤訳しないものだ。そのためにも、文型のパターンを知ることがだいじになる。

(13)

翻訳学校で教えていると、「英語が好きで翻訳をやりたい」といっている割りには、英語の勉強に興味がないのではないかと思うことがままある。新しい英語の 辞書、英語を学ぶのに役立つ本をあまりにも知らなさ過ぎる。ちょっと本屋へ行けば語学のコーナーに見つかるような本、英米の文化を学べるような手軽な本をまったく知らないのには驚く。
 ここで挙げる『日本人の英語』など、英語の「てにをは」を知るには必携必読だと思うのだが、(生徒たちが)題名をメモしているところを見ると、読んだことはおろか、存在すら知らなかったのだろう。
 翻訳書を何冊か世に出したからといって、勉強を怠ってはいけない。このあいだある翻訳書をぱらぱらとめくっていたら、「苦しんでいる乙女」という訳語に ぶつかって唖然とした。原文はdamsel in distress「困っている(苦境にある)乙女」のはずだ。「苦しむ」は自分に原因があるわけで、まったく意味がちがう。damsel in distressは、たとえば悪漢に捕らわれて白馬の騎士が助けに来るのを待っている乙女のことだ。こういう訳語をひねり出すとは、騎士道物語を読んでい ないか、よっぽど不注意なのだろう。
 アメリカ版白馬の騎士のcavalry(騎兵隊)は、現在では「(ヘリコプターもしくは自動車化の)機動部隊」を指すが、これもIndian country(敵地)にいるときや窮地に陥ったときに援けに来てくれるという文脈では、「騎兵隊」と訳さないと意味が通らない。
 先日、あるところで「堀部安兵衛」とはだれですかという質問が出て、きかれた人(比喩に使ったご本人)がびっくりしていたが、それと似ている。英語でも、こういう常識を知らないと大恥をかく。

(14)

 きょうはひとことだけ。「メモ」の話。
 memomemorandom)は日本語の「メモ」ではない。
 会社や官庁の「内部文書」「部内報告書」「組織内の意見書」「情報を伝達する回覧文書」、あるいは外交における「非公式の覚書」のこと。だから、文脈に応じて、「文書」「(関係)書類」「報告書」「意見書」「覚書」などと訳す。
 日本語のメモはtake a notenoteにあたる。
 ついでながら、reportは「(研究・調査結果を仔細に記した正式の)報告書」であっても大学などの「レポート」ではない。「レポート」は英語ではterm paper。 
 ことほどにカタカナ言葉にはご用心。

(15)

 きょうもひとことだけ。「チャンス」について。

 英語のchanceは、日本語の「チャンス(好機)」の意味合いは薄い。むしろopportunityのほうが「チャンス」と訳すべき場合が多い。

 take a chance 「一か八かに賭ける」

 take one's chance 「運を天に任せ(てやってみ)る」

 ――といった表現がよく使われる。

 ついでながら、「命懸け」は「命を賭ける」わけではなく、命を捨ててもよいという覚悟のこと。

(16)

「オノマトペ」も翻訳で注意しなければいけないことのひとつだ。ドアを「バタン」と

閉めたり、爆弾が「ドッカーン!」と破裂したり、馬が「パカパカ」走ったり、岩が「ごろごろ」落ちてきたりすると、どうも幼稚な感じになる。むろん擬音語を使うこと自体が悪いわけではないが、機械的に訳さないほうがいい。

 ドアは「音高く」、「思い切り」、「強く」、「叩きつけるように」閉める――こともあるし、原文がslamでもただ「閉める」でもじゅうぶんな場合もあるだろう。

 爆弾は「轟然と」、「すさまじい音響を発して」、「耳を聾する爆発音ととともに」破裂するほうが、迫力がある。

 馬は「蹄の音を響かせ」、「蹄を高らかに鳴らし」、「地を蹴って」走るほうが、童謡的ではない。

 大きな岩なら、「地面を揺るがしながら」「不気味な音を轟かせて」落ちてくるはずだ。

 こうしたことは、すべて文脈――前後関係によってあんばいしなければならないが、オノマトペが多いと幼稚な文章になることだけは、憶えておいたほうがいいだろう。

           *               *

 文脈で思い出したが、おなじ言葉でも、文脈によってだいぶ意味がちがってくる。

 たとえばAll righttが、単純に「わかった」と訳してよい場合もあるが、「わかったよ」という返事には、「しつこいぞ」、「嫌だけどやるよ」、「るせえんだよ」といった意味がこめられている場合もあるだろう。

 日経朝刊の土曜版には翻訳家高山美香さんの「なるほど英語帳」という連載コラムがあるが、7月23日のYou need help.「ひとりで抱えてちゃダメ」には、思わず「うまいっ!」と叫びそうになった。悩みを抱えているひとに対してこの台詞をいった場合の訳だが、『「お医者さんに行ったら?」などと具体的に訳したほうがセリフとして分かりやすいことが多い』と高山さんは書いておられる。ボカしたほうが無難な場合は、「ひとりで抱えてちゃダメ」がいちばんしっくりくるように思う、とのこと。

 英米のドラマの台詞や字幕は、こういう呼吸のいい訳が多く、参考になることも多い。映画館でメモをとりたくなることもしばしばだ。懐中電灯とメモを用意しておけばよいのだが、そこまで準備がいいことはあまりないので、あとでメモすることもある。

(17)

 いまちょっと手をつけているトーマス・L・フリードマンのThe World Is Flatの最初の章は、インドのシリコン・バレー、バンガロールを訪れる場面からはじまるのだが、牛や荷馬車の通るでこぼこ道を走ってインフォシス社にはいったところで――

 No, this definitely wasn't Kansas.

――という表現がいきなり出てくる。

 これがすぐにわかるようだと、かなりの英語通だろう。

 「オズの魔法使い」で、マンチキンの国に竜巻で飛ばされてきたドロシーが、あたりの色鮮やかな光景を見て、「トト、ここはカンザスじゃないみたい」という。これはそのもじりで、この場合のカンザスは、「見渡すかぎり畑しかないど田舎」といった印象の言葉なのだ。映画を見たことがあればわかるだろうが、カンザスの場面はモノクロ(「なにもかもが灰色」というのが原作のイメージ)で、マンチキンの国にきたとたんに「総天然色」になる。子供の頃、親に連れられて渋谷の東急文化会館の映画館でこの映画を見てすごい衝撃を受けたのをおぼえている。このあたりのことは『続・日本人の英語』にも詳しく書かれているので、参考にするとよいだろう。

 深夜、3チャンネルで「ハートで感じる英会話」を見ていたら――

 (1)You're so selfish.

 (2)You're being so selfish.

 ――のふたつのちがいや、進行形の使い方について話していた。むろん(1)は「あなたという人間は身勝手だ」であり、(2)は「あなたのやっていること(行為)は身勝手だ」という意味になる。(1)はいってみれば人格そのものを否定的に表現するきつい言葉で、(2)は行為やありかたを責めるものだといえる。

 ここでいいたいのは――こうした知識そのものの説明ではなく、知識を吸収しようとする姿勢が翻訳という仕事にはつねに必要だということだ。つねにアンテナを立てておくと、きっといつか役に立つ知識が得られる。

(18)

 冒険小説やハイテク軍事スリラーをやっていると、いながらにして世界旅行ができるのはよいが、いろいろな言語が出てくるので、調べるのに手間がかかる。

 もちろんひとに聞けばよいのだが、単語や短いやりとりをいちいちきくのも手間だし、あまりたびたびだと申しわけない。だから、できるだけ自分で辞書を買ってひくようにしている。といっても、英語のアルファベットを使っている言語と、高校・大学で習って辞書ぐらいはひけるロシア語はともかく、チベット語のような文字がちがう言葉では、いくら辞書のページを睨んでも???の連続だ。

 最近、テロリストの跳梁跋扈にともない、アラビア語が出てくることが多くなった。さいわい、「千夜一夜物語」をアラビア語で読もうという大望を抱いていた父が残していったアラビア語の辞書があるので、アラビア語のアルファベット表と見比べながら、ちょっとは調べられるようになった。

 しかし、アラビア語は語頭・語中・語尾で字体がちがい、これを見ていくのが用意ではない。一語ひくのにもひどく時間がかかる。だが、根気と不屈の精神がなければ翻訳者などやっておれぬ。一年もつづけていれば、だいぶ慣れるだろう。

 というわけで、第二外国語、第三外国語、第四外国語、第五外国語……と、知識は水溜まりのごとく浅く広くひろがってゆくのであった。

 ちなみに、そう珍しくない英米独仏露西中以外でこれまでに出てきた言語は、ノルウェー語、フィンランド語、ウクライナ語、ウルドゥー語、ヒンドゥー語、チベット語、ベトナム語、トルコ語、インドネシア語……ウルドゥー語とヒンドゥー語はきくあてがあるので辞書はないが、あとはみな辞書や「〜語4週間」「Teach Yourself ~」のたぐいをそろえてある。ロシア語はことに卑語・俗語・軍事用語の辞書が充実している(罵詈雑言が出てくる場合が、あまりにも多い)。

 こういうことを楽しめないと、翻訳業はつらい。(写真は英語の発音表記があるので使いやすい亜英辞典。)


(19)

 ちょっとした役に立つ情報のことをtipというが、きょうはインターネットで訳語を調べるときのtipを。

(1)Googleなどで検索するときに、検索ボックスに原語を打ち込み、「日本語のページを検索」にチェックを入れる。これで訳語がわかる場合もある。たとえば、commoditizationはまだ辞書にはあまり載っていないようだが(『グランドコンサイス』の語義はまちがっている)、「コモディティ化」だとわかる。新語は訳語が定着していないこともあるが、そういう場合でも、あらためてそれぞれの訳語で検索し、ヒット数を見れば、どの言葉が普及しているかを見極められる。

(2)おなじく検索ボックスに適当なカタカナを打ち込み、「日本語のページを検索」してみる。たとえば、peer reviewなら「ピアレビュー」と打ち込む。詳しい説明がある場合も多い。また、「テキサス・インスツルメンツ」「インフォシス・テクノロジーズ」のような社名のカタカナ表記は、これでかなり判明する。

 こうした検索テクニックは、ちょっとした数学の順列組み合わせの発想で、ヒット数を減らし、なおかつヒットの確率を高くする。コンピュータの性質(二進法)を利用したものともいえる。やみくもにその言葉を検索するよりも、目的を達成できる可能性が高い。

(20)

 ネットで人名を検索しているとかならずぶつかるWikipediaというオンライン百科事典がある。

 これが便利なのは、つねにユーザーによる(ある程度まで信頼できる)情報のアップグレードが行なわれていることだ。だから、一度調べて知りたいことがわからなくても、あきらめずに何日かたってからまたアクセスすると判明することがある。

 wikiというのはハワイ語で「迅速に」の意味だということだが、この場合のwikiはこうしたオンラインの情報を管理するソフトウェアのことらしい――というのはフリードマンのThe World is Flatを訳していて知った。かように翻訳という仕事は、仕事から教わることが多い。

 Wikipediaは完全にフリー(無料)だが、プロのジャーナリストも利用するなど、Britanicaなどの有料オンライン辞書よりもはるかに人気が高まっている。こうしたオープンソーシングは、今後ものびてゆくだろう。「英辞郎」がどういう形をとっているか、詳しくは知らないが、Wikipdia方式でフリーのオンライン辞書になってゆけば、《ランダムハウス》も《リーダーズ》もいらないという日が来るのではないか。

 その点、まだ日本のネット環境は閉鎖的といわざるを得ない。ひろがりの大きいはずのmixiを見ても、閉鎖的集団の集まりになっている。

「ネット情報はクズが多い」と批判していたマイケル・クライトンも最近では「不正確な情報が紛れているが、批判的に読みこなす力を民衆が身につけていた」といっている。これは開放が行なわれた成果の進化だろう。車の運転でも携帯電話の使い方でもそうだが、マナーが定着するのに時間がかかるのは覚悟しておかなければならない。

(21)

 きょうは若干、精神論めいた「たとえ話」をしよう。

 ある出版社ではじめて仕事をするデシが、「こういうのは得意ですから任せてください」といった、と若い編集者から聞かされた。そのデシはまだ数冊目の仕事だったのだが、編集者が苦笑まじりに打ち明けたことからも、これがどれほど不遜な発言であるかということがわかる。

 この仕事、20年もやっていると、自分の子供よりも若い編集者と仕事をすることもある。そういうとき、「先生」と呼ばれたら、まず「先生」と呼ぶのはやめてほしいと頼む。なぜなら、どんな細かいことであろうと、注意すべきところは注意してほしいし、たがいに率直に仕事のできる立場でありたいからだ。

 セシル・スコット・フォレスターの海洋冒険小説ホーンブロワー・シリーズから学んだことは多いが、これもそのひとつだ。翻訳者をキャプテン(艦長)とするなら、編集者はナンバー・ワン(副長)で、すべてにDevil's Adovocate(あら捜し役)を演じなければならない。白い波頭に見えても、氷山かもしれないと注意する疑り深さが副長には必要とされる。この意見具申と艦長の決断が航海や戦闘を左右する。

 艦長の過誤で危険が迫っているかもしれないときに副長が口をつぐんでいては、艦が沈むおそれもある。最終責任をとるのは艦長だが、艦長はすべての意見を聞く耳を持たなければならない。

 ソフトウェアの開発などに、ピアレビューという手法が使われることがある。要するに対等な立場のエンジニアが相互の技術を評価し合い、こしらえているものの欠点をなくし、よりよいものにすることだ。

 翻訳の性質上、そういう「対等の立場」での作業は難しい。だからこそ、できるだけプラットホーム(意見を述べる機会)をフラットにしなければなない。「任せてください」といったのでは、それを台無しにする。まして、本をつくるという作業には、校閲、校正、表紙のデザイン、イラストレイター、製作といったさまざまな作業や人々が参加する。そしてもっとも大切なのは読者に対する責任だろう。あらゆる努力をはらい、できるだけよいものをこしらえて読者に届けるのが、本づくりにたずさわるものの最大の責務ではないか。

(22)

 今回からは、2回連続でとりちがえやすい表現について。

 まずは左と右の話。

 船や飛行機では右舷(右翼、右側)をstarboard、左舷(左翼、左側)をportという。Oxford Companion to the Ships and the Seaによれば、starboardの語源はsteer-board(直訳するなら舵取り板)つまり櫓や櫂が海側に突き出していたことに由来するという。(この時代、まだ舵は考案されていなかった。)starboard側はつねに船長専用であり、上陸の際も乗船の際も、こちら側の梯子(ラッタルと発音される)は船長しか使わないという不文律があった。

 しかし、現在ではstarboard(右舷)からの乗船の習慣は廃れ、大型船や軍艦はすべてport(左舷)を岸につける。左舷はlarboardと呼ばれていたのだが、語尾ががおなじ-boardだと聞き違える場合があるので、portと呼ばれるようになった。昔から大型の商船が左側を岸につけて荷さばきをしたことに由来するといわれている。

 飛行機の乗り降りもしかりで、旅客機がその典型であるように、かならず左側から乗り降りする。だから、原書で船の「右舷」や飛行機の「右側」の梯子やタラップからおりるという表現があったときは、原作者の勘違いだと考えたほうがいい場合が多い。

 ついでながら、船の言葉はふつうの英語と発音がちがう場合が多いから気をつけないといけない。main sailはすなおに読めば「メイン・セイル」だが、「メンスル」となる。船の旗をensign「エンサイン」というが、white ensign(英国軍艦旗)は「ホワイト・エンスン」と発音する。

(23)

 つづいて否定と肯定について2話。

 中学一年のとき、『マイ・フェア・レディ』をみゆき座で見て(オードリー・ヘップバーンのファンだったのだ)、サントラ盤のコンパクトLP(四曲入りの17センチLPレコード)を買った。ここで非常に難しい英語の表現にぶつかる――I could have danced all night.――曲名は「踊り明かそう」となっている。歌詞・対訳付きなので、これが「一晩中踊っていられたらどんなにいいかしら」という意味だとわかったが、とうてい中学生の手に負える英語ではない。

 こういうcouldwouldを使う表現は、得てして誤解しやすい。例を挙げよう

 まず、It could have been worse.が使われる状況を考えてみよう。

 振り込め詐欺に遭った。しかし、不幸中の幸い、100万円要求されたのだが、5万円しかなく、それだけ振り込んで、あとは数日後にという話になったが、騙されたと気づいた。つまり、「それぐらいで済んでよかった」「まあマシだった」という文脈で使う。

 逆にこの否定形のIt couldn't have been worse.は「全財産取られちまったよ。もう最悪」という状況のときに使う。

 話が暗くなったから、プラスの表現もひとつ紹介しておこう。ただし、これは翻訳を20年やっていて、一度しか見たことがないから、古臭いか、あまり使われない表現なのかもしれない。

 Never better. 「よりよかったことなんか一度もない」ではないよ。(気分は、今夜は)「最高!」

                                                   

 似たような言葉なのに、誤解しやすいものもある。suspectdoubtがそうだ。

「疑う」という語義がすぐに頭に浮かぶだろうが、ちょっと待った。

 suspectは、「あまりかんばしくないことである」が「そうではないかと思う」の意味。

 doubtは、そういうことは「ありえないように思う」の意味。

 つまり――。

 I suspect that he is a spy. 「あの男はスパイじゃないかな」

 I doubt that he is a spy. 「あの男がスパイだとは思えない」「スパイをやる男のようには思えない」「スパイだという話はちがうと思うな」

                                                   

 いずれも、頭が疲れていると逆に訳しかねない厄介な表現だ。ベテランの訳者がまちがえているのを見かけたこともある。

(24)

 今回は訳語のヒントを拾う話。

 翻訳という作業は、「ない袖は振られぬ」という一面がある。この慣用句は本来、「貸したくても金がないんだよ。おあいにくさま」という文脈で使うものだから、ちょっとずれているのは承知でいうが、いざというときのために、ふだんから言葉という銭を溜め込んでおかなければならない。

 前に言及した日経版の「なるほど英語帳」もなかなか役に立つ。著作権にふれるので引用はできないが、きょう(11月5日)付けで在英ジャーナリスト阿部菜穂子氏は、じっさいの事件をもとにmake a stand「抵抗する」というイディオムを取り上げている。こういうふうに文脈がくわわると、言葉の意味はなおのこと理解しやすくなる。一読してほしい。

 映画の字幕もなかなか秀逸なものがあって、メモをとることも多い。DVDで見ているならべつだが、ぱっと消えてしまうものなので、いつも手の届くところにメモと鉛筆を置いておかなければならない。アクション映画にImpressive! 「やるな」という字幕があった。小説ではもっと長い台詞になってしまうかもしれないが、これは使える! と思った。これは使えるシチュエーションが訪れるまで、だいじに巾着にしまっておかなければならない。

 ここでたいせつなのは、両方ともメモや切抜きというアナログな作業によってためこむということだ。データベースという他者の脳みそ(電脳辞書もその一種)ではなく、自分の脳みそをレファレンスの糸口にして(つまりざっと記憶する)、くわしい内容はメモや切抜きを見ればよいようにしておくわけだ。

 電脳辞書は便利ではあるが、弊害もある。それについては次回。

(25)

 予定を変更して、「敬語」の話をする。

 日本語の敬語はたしかに難しい。しかし、煎じ詰めれば、相手を思いやる気持ちをどう表現するかということが肝心なのだと思う。

 例えば、あす小学生のよし子ちゃんが遠足で、弁当を持っていくことになっているとする。母親がよし子ちゃんに、「お弁当を作らなければいけないわね」といった場合、感じやすいよし子ちゃんは「お母さんは面倒で嫌だと思っている」と受け止めるかもしれない。「そうねえ。なにが食べたい?」ときけば、気遣ってもらえているのだと感じるだろう。これは敬語にまつわるエピソードとはいえないかもしれないが、たとえ相手が子供でも油断せず、礼儀を守ることが大切だという点ではおなじだろう。

 さて弁当をこしらえたとしよう。よし子ちゃんはタマネギが嫌いなので、ハンバーグもタマネギを入れずに人参を擂って入れるなどの工夫をしてこしらえた。お母さんは「あんたはタマネギが嫌いだから入れなかったわよ。気を遣ったんだから」という。しかし、「タマネギははいっていないのよ。食べてね」といい、「気を遣った」ことをいわないのが、ほんとうの気配りだろう。

 奥床しい(奥床しかった)ひとびとが住む東洋の端の国では、狭いところにおおぜいが暮らしているから、こうした気配りが欠かせない。(目下目上には関係なく)礼儀を守ることを卑屈と見なす風潮が、政治家からひろまりつつあるような気がするのは、嘆かわしいことだ。

 もうすぐ12月で忘年会シーズンだが、今年は大きなパーティがおなじ日に開催されることになってしまった。片方のパーティの案内状に、こんな文面があった。

                                                   

『XX月XX日(X)には、当XXXX忘年会のほかにも、XXXXの関係者の多く

が例年ご出席なさっているパーティーが開催される予定です。同日に両方へ参加なさりたいかたがたに配慮し、会場のXXXXのご協力を得まして、今年度のみの特例として、XXXX忘年会の閉会時刻を午後11時に変更することといたしました』

                                                   

 賢明なかたはおわかりと思うが、これではせっかくの「配慮」が台無しだ。まず、どうしてもっと素直にひらたいくだけた文章が書けないのかと思う。これでは物書きとして情けないではないか。

(1)まず、「配慮し」は上から物をいう表現である。「ご配慮ありがとうございます」という使いかたはあるだろうし、「中韓の感情を配慮して」というような政治的表現も見かけるが、顔のある対等な相手に対してこういう表現はふつう使わない。

(2)配慮したことを相手にいうのは、押し付けがましく、失礼である。これは前述の例からもわかるだろう。「おなじ日にだぶってしまったからパーティの時間を延長する」という事実を述べるだけで、「気遣い」はじゅうぶんに読み取れる。タマネギを入れなかったお母さんとおなじで、そういう手配をしたこと自体が「気遣い」であるからだ。

(3)さらにいえば、「両方に参加なさりたいかたがたに配慮」するのであれば、だぶってしまいましたが来てくださいね、という招きの言葉をいい添えるのがふつうだろう。また、この一文は、「両方に参加なさりたいかたがた」に向けて書かれていない。相手はあくまで「自分たちのパーティの参加者」だ。つまり、当事者の「配慮」の対象が人間ではなく、同日にパーティがだぶったという事実であり、ことによると参加者が減るかもしれないという懸念が背後にあることが透けて見える。

『お言葉ですが…』の高島俊男さんもおなじような考えで書いておられると僕は解釈するが、なにも四角四面に、時と場合を考えて適切な言葉を使えというのではない。そんなことは不可能だし、言葉はもっと柔軟なものだ。肝心なのは相手に対する思いやりだろう。

 しかし、コトバを愛し、コトバにかかわる仕事をしている人間が、日常、このような表現を平気で使うのは嘆かわしいことだと思う。くだんの文を、善意を押し付けないようにしながら、全参加者向けに、もっと易しく、優しく書くのは、そんなに難しいことではない。僕ならこう書く。

                                                   

『ゆくりなくも今年はもうひとつの大きな年末のパーティと日にちがおなじになってしまいました。そのため、ゆっくりお楽しみいただけるようにと、会場と交渉の末、時間を一時間延長いたしました。せっかくですので、移動と長時間の立食がたいへんとは存じますが、もうひとつのパーティに出席なさるかたがたもぜひお越しください』

                                                   

 くりかえすが、言葉にかかわる仕事をしている人間は、ふだんから言葉にセンシティヴでなければならない。相手の言葉によく耳を傾け、自分の言葉に気をつける。活字を睨んで四六時中そんなことばかりやっているのが、この仕事である。

(26)

 今回は、電脳辞書の弊害――大は小を兼ねない、という話。

 DDWinという便利な電子辞書ツールがあって、翻訳者はたいがい使っている。『ランダムハウス英和辞典』と『リーダーズ英和辞典』のCD−ROM版をパソコンにインストールしてメインの辞書にする、というのが標準的な要領だろう。

 ところが、大辞典というものは、小回りがきかない。つまり、改訂がなされるのに非常に時間がかかる。だから、この二冊のあとで出た中小の「紙の辞書」も併用しなければならない。

 しかし、人間は得てして怠惰なものだから、ページをめくるという作業を怠りがちだ。そうすると、タイムリーな言葉がきちんと訳せないはめになる。

 例を挙げよう。

 incentiveの語義を『ランダムハウス』と『リーダーズ』からざっと拾うと(例文などは省略)……。

『ランダムハウス』――誘因、刺激、(増産のための)報奨金[]、報奨旅行、コカイン。

『リーダーズ』――激励、刺激、誘因、動機、奨励金、報奨、発奮材料、励みとなるもの、《俗》コカイン。

 2003年1月初版の『ウィズダム英和辞典』には、用例としてtax incentive「税制上の特例措置」とある。新聞の経済面をすこしでも読んでいる人間なら当然、incentiveが「刺激策」の意味で使われることが多いのを知っているはずだ。

 つぎはcapabilityを見ていこう。

『ランダムハウス』――(ができる)力、能力、才能、手腕、(物の)耐性、(に対する)適応性、性能、(利用・発達の)可能性、(将来伸び得る)素質、将来性、潜在能力。

『リーダーズ』――能力、権限、才能、手腕、可能性、伸びる素質、将来性、性能、【電】可能出力。

『ウィズダム』には、以上のような語義にくわえ、項目を立てて――(国家の)戦闘能力、軍事力――とある。「中国の」capabilityというような文脈では、この訳語のほうが至当だろう。

 さらにもうひとつ。love-festは、『リーダーズ』には「野合《利害が一致した対立党派どうしの協力》」とあるが、『ウィズダム』にあるように「(くだけて、おどけて)和気藹々とした状況」の意味で使われることも多い。

 大辞典がよくないというのではない。電脳辞書の便利さはおおいに活用すべきだろう。しかし、アップデートが遅い(電脳ツールであるのに)という欠陥を知りながら使わなければならない。そこにある情報が最大で最良だとは努々思うことなかれ。

(27)

 ハイテク軍事スリラーは、細かな事実の確認が必要なので、なかなか手間がかかる。

 例えば、原文ではパルヒム級「フリゲート」となっているが、じっさいはどうなのか? 『ジェーン年鑑』Fighting Shipsをあたると、「コルヴェット」となっている。事実に合わせ、訳文では「フリゲート」としなければならない。

「イワン・ロゴフ級強襲揚陸艦のブリッジ(艦橋)から(前方を)見るとSAM(対空ミサイル)発射機が……」という表現があったので、じっさいの配置をたしかめると――SAM発射機は上部構造の艦尾寄りにある。ややこしいことだが、これも修正が必要になる。

 BACホーク練習/攻撃機???――正しくはBAe。これは作者のちょっとした勘違いだろう。

 まあ、こういう確認は、どういうジャンルでもやらなければならないことではあるのだが……。

(28)

『知って役立つキリスト教大研究』は、ほんとうに役に立つ。なんといってもイラストと索引(英語と日本語の両方)があるのがありがたい。たんなる面白本ではなく、たいへん良質な翻訳の資料だ。おおいに利用できるのは、著者の調査が細心かつ良心的だからだろう。

 いろいろな国が舞台になっているオプ・センター・シリーズのような作品を訳すときには、地図や各国の事柄がわかる資料が欠かせない。地図は最大のものは『ベルテルスマン 世界地図帳』を使うが、地図もまた大は小を兼ねない。場所によっては『現代世界詳密地図』か『世界地図帳』のほうが役立つことがある。地名の日本語表記がまちまちなのも悩みの種だ。各国資料には、ちょっと古いが、『データ・アトラス95−96』をよく使う。むろん統計データはもっと新しいものを確認する。

(29)

 そもそも「翻訳アップグレード教室」の「オリジナル」は、月刊誌『翻訳の世界』1995年4月号からの連載にはじまる。毎月課題を出し、応募原稿の講評を中心に進めるというものだった。かなりの数の優秀な「生徒」が、ここをなんらかの足がかりに――あるいはひとつの踏み石に――して、デビューした。

 この切抜きはいまでもおおむね残っているのだが、ほぼおなじ時期に経済・経営などの分野の翻訳の泰斗山岡洋一氏が、同誌に連載していた「基本語翻訳辞典」には膝を打つことしばしだった。

 先日、ノンフィクション翻訳関係の集まりでお目にかかった際に、この話をすると、連載をまとめたものがちくま新書で出ているとのこと。さっそく購入した。連載の際にとりあげた言葉ではぶかれているものもあるようだが、その後のインターネットの発達により、コーパスを利用するなどの情報処理も格段に進歩したため、より研ぎ澄まされた英語勉強の参考書になっている。

 内容はあえてここでは紹介しない。たった¥700プラス税で、これだけの知識が得られるのだから、即座に注文すべきである。

(30)

  読みたい本とはべつに、必要に迫られて翻訳書を読むことがあるが、どうにも稚拙な日本語にがっかりすることが多い。いや、日本語のうまいへたの問題ではなく、常識の問題だろう。

 われわれがふつうの会話や文章で「木製のテーブル」「鉄製の扉」「ガラス製のコップ」という表現を使うことはほとんどない。「の」には「材料を表わす」意味が含まれているから、「木のテーブル」「鉄の扉」「ガラスのコップ」等々でじゅうぶんだ。さすれば「木製のテーブル」は「馬から落馬する」のたぐいになる。それはそれとして、最近いちばんあきれたのは「木製の建物」という表現だった。「木造」という言葉が、この訳者の頭にはないのだろうか?

 編集の責任――という声もあるだろうが、編集者や校閲にこんな事柄まで指摘してもらうのを期待すべきではない。いくら些細とはいえ、指摘すれば訳者の「日本語の常識」が疑われかねない問題なのだ。たがいの関係の悪化を招くかもしれない。だから、たいがいの場合、編集者は口を拭うだろう。まして、「木製の――」を平気で使うような訳者の訳文には似たような瑕瑾が多いはずだから、直しきれないという面もある。まして、訳文そのものの出来は編集者の責任ではない。

「木製のテーブル」は誤訳ではない。意味は通じる。しかし、前に書いた「ワインのボトル」とおなじように、日本語の常識からすれば、「お言葉ですが……」といいたくなるたぐいの訳語である。

(31)

 海外の小説を訳すのに『知って役立つキリスト教大研究』が役立つことは、前に触れた。それはそれとして、聖書の一冊ぐらい持っていなければならないが、これがじつはなかなか厄介な問題を含んでいる。

 以前住んでいたところの近くには神学校があり、古本屋にちょっとめずらしい聖書が出ることがあった。よく使う『旧約・新約聖書』(ドン・ボスコ社 1964年初版 1973年7版)、『舊新約聖書』(日本聖書教会 1973年)はそこで手に入れた。

 名前のところは切り取られているし、古本屋に聖書を売るぐらいだから、持ち主は落第生だったのかもしれない。ともあれ、前者は口語訳、後者は文語訳である。ただし、この二冊を対照するわけにはいかない。なぜなら、ドン・ボスコ社の聖書はカトリック用である、日本聖書教会の聖書はプロテスタント向けだからだ。解釈や表記(カトリックでは「イエス」ではなく「イエズス」等々)がちがうだけではなく、正典とするものもちがう。ドン・ボスコ社の聖書には、「外典」とされるものがいくつか含まれている。

 カトリック・プロテスタントの「新共同訳」はまだ買っていないのだが、いのちのことば社の『新改訳聖書』は注解や印象が便利そうなので最近買った。いずれにせよ、聖書は文語訳のほうが感じが出るので、じっさいには『舊新約聖書』の訳をもとにしてあんばいする場合が多い。文語訳の古い聖書を古書店で見つけたら、買っておくとなにかの役に立つはずだ。なお、原書はOxford University PressThe Holy Bibleを使っている。

 ついでながら、イスラム教の『聖クルアーン』は以下のページで日本語検索できる。

http://cgi.members.interq.or.jp/libra/nino/quran/index.html


(32)

前に取りあげた『英単語のあぶない常識』に「claimはクレームか」という項目があって、こんなことをまちがえるひとがいるものかと思ったが、先日、「タンカー火災をしのぐクレームが保険会社に殺到する」という趣旨の訳文を見つけて唖然とした(そのまま引用すると訳者がわかるおそれがあるので変えた)。もちろんこのclaimは保険金請求のことだ。英語のclaimにクレーム(苦情)の意味はない。

 この本には、「時速XXノット」という表現もあちこちにあった。ノットは時速XX海里のことだから、むろん「時速」はつかない。

 ついでながら、原書でmileとされていても、場所が海や空であるなら、いわゆすstatute mile「マイル」ではなく、nautical mile「海里」である可能性が高い。英米はもとより、日本の海や空の現場でも、わざわざ「海里」「ノーチカル・マイル」とはいわず、ただ「マイル」という場合がほとんどだ。「海里」は「マイル」とはちがい、地球を物差しにした単位で、航法にはもっぱらそれが使われているからだ。

 ごくおおざっぱな話をしよう。地図があれば見てほしい。三宅島は北緯34度のやや北、房総半島の館山は北緯35度あたりにあるのがわかる。緯度一度の距離が60海里に当たるから、この2点の距離は60海里前後になる。仮に平均速力10ノット(つまり時速10海里)で航海するとすると、三宅島から館山まで約6時間で行けるわけだ。このノットという単位は、飛行機の速度にも用いられる。

 逆にいえば、海や空ではstature mileは(地上の距離関係で用いられるのでないかぎり)、単位として重要な意味を持たない。だから、舞台が船や飛行機であるなら、「マイル」といえばまず「海里」だと判断しなければならない。

 メートルもまた本来は地球を物差しにした単位である。現在はもっと精密なほう法により計測されているが、当初は子午線の北極から赤道までの1000万分の1とされていた。

 この間の緯度は90度、これに60をかけた5400海里が、北極から赤道までの距離になる。

 1000万÷5400=約1852 つまり1海里は約1852メートルだとわかる。

 くりかえすが、空海軍パイロットや艦艇に乗り組む海軍士官がmileといったら、それはnautical mileのことである。「マイル」と表記してもよいかもしれないが、「海里」だということは肝に銘じておかなければならない。そうでないと、位置関係や距離の面で食いちがいが生じる。

     *     *

 帰省シーズンで車に乗ることも多いだろうから、ついでに便利な頭のなかの「タキメーター」の話をしよう。クロノグラフを持っていれば、リング状のタキメーターがついている場合があるから見てほしい。

 これは速度と距離の計算には、非常に便利な「計算尺」だ。

 まず道路の距離標識に注目する。1km行くのに1分だと、時速60km。30秒だと時速120km。つまり……。

 時速60kmで安定して走ると、当然ながら60km行くのに1時間。では時速120kmでは――所要時間は半分の30分になる――。

 おおざっぱにいうと、自動車で走っているときのタキメーターの計算式は、このように60kmと60分のような6の倍数を基本とするといい。時速60kmで1分間にすすめるのは1km、速度が1.5倍の時速90kmなら、1.5km行ける。出口まであと15kmであれば10分で出られる、とわかる。時速100kmなら、10分弱、とおおざっぱに考えよう。

 頭の体操をすると眠くなる、というひとは計算をやめましょうね。

(33)

 もうX十年も昔の話になるが、高校のリーダーの先生がおもしろい人で、ずいぶんいろいろなことを教わった。それがいまなお役立っている。

(1)probablyは、「たぶん」ではなく「十中八九」。

(2)wetは、「湿っている」ではなく「びちょびちょ」。

(3)the manは、「春木先生に内緒の代名詞」。

 まずは(1)から――

 蓋然性の高さはおおざっぱにいうと――

 definitely>probably>perhaps>maybe>possiblyの順になる。

 もうちょっと細かく区別するなら――

 definitely(確実に)>no doubt, doubtless(まちがいなく)>almost certainly(ほぼまちがいなく)>presumably(どうやら)>probably(十中八九)>hopefully(うまくすると)>perhaps, maybe(ひょっとすると)>possibly(ことによると)という順番である。ただし、訳語が文脈によって異なるのはいうまでもない。

 つぎは(2)だが、wetもまちがいやすい言葉だ。たとえば、道路がwetなときには、「濡れている」ではなく「水浸し」という訳語がふさわしい場合があると心得ておこう。ウェット・ティッシュなるものがあるが、あの状態はどちらかというとmoistであってwetではない。

 (3)の「春木先生」とはグラマー担当で、ホーチミン髭を生やし、肩をいつもいからせていた先生である。じつはいつもきこしめして授業をやっておられたそうだというのを、同窓会のときに担任の先生に聞いた。それはともかく、英文にはこうした「隠れた代名詞」が多く使われている。それをリーダーの先生は、「春木先生に内緒の代名詞」といういいまわして教えてくれたのだ。なぜなら、hesheばかり使っていたのでは、だれがだれやらわからなくなるからだ。すなわち、the tall manといった表現をいちいち「背の高い男」と訳す必要はないし、かえってわかりづらくなる。その男がBobであるなら、おおかたの場合、単純に「ボブ」とすればいい。むろん、前後関係や文脈、パラグラフにおけるその「代名詞」の位置によって、あんばいしなければならない。

 ちなみに、春木先生のグラマーで使っていた辞書はホンビーの小さな「新英英大辞典」では、wetの語義はcovered or soaked with water or some other liquid.となっている。「濡れた」がまちがいだというのではない。ただ、どういう場合にでもwet=「濡れた」でとどまってしまうのは、自分の「日本語変換辞書」の語彙が乏しいの