
山から教わったこと、貰ったことを気がついた都度掲載していきます。現在は到底100には及ばない数ですが、大胆にも将来は100にはなるでしょうとの予想から100と銘打ってます。同じことを言っているケースも多々あると思いますが、ご愛嬌ということで。
各章の内容は後日、加筆や修正をすることがあります。
北アルプスは約百万年前から隆起し始めたと言われ、カール、雷鳥、高山植物等は氷河期の残物である。
尾瀬は高層湿原化が驚くべき低速で進んでいる。当然ながら自分たちの生命や人類そのものの存在の短さ・小ささを実感させられる。
雪解けと同時に一斉に花が咲き競う様や野生動物の過酷な環境でも必死に生き延びようとする様。師は人間とは限らない。
俳句などを嗜んでおられる方々には備わっているであろう感覚が得られる。とにかく山の季節の移ろいは早い。紅葉の見頃は週末まで待ってくれないし、すぐに雪が降ったりする(しかし冬は長いが)。毎日通勤には公園を通り抜けていく。昔であればさして気にならなかった小さな植物の開花や落葉などが気になったり待ち遠しかったりで楽しくなった。
物をなるべくリサイクルすること。無駄な消費をしないこと。ごみを出来るだけ少なくする。排ガスは少なく(車を電車にという切替は中々出来ないが。岩崎元郎さんゴメンナサイ)
有明海の干拓で人と虫けらとどっちが大事なんだという意見が有った。その不遜が人を無駄な殺戮や自然破壊をさせてきたのだろう。アイヌやアメリカインディアン、モンゴルの遊牧民、エスキモー、その他世界の原住民は獲物を神に感謝して召す。これが正しいのだろう。人間は結構醜いこと、恥ずかしいことしますよね。
天候、山と人間との関わり(水や信仰)、漁場の育み、森林の小宇宙的連関、医学者で山岳家の今井通子さんも山は先生と仰っている。
今井通子…とにかく活動が幅広く、有名な登山家で、yahooでも「タレント名鑑」に出てくる。旦那のダンプさんは涸沢周辺でよくお見かけするが、登山家で東京の大手アウトドアショップ経営者。ユニークな夫婦である。
ウォーキングはとにかく体に良い。無理をすると小生のように膝を悪くしたり、限度を超えた人にはもっと悪いことが起きる場合もあるが。
インターネットで調べると心臓病や動脈硬化などの成人病だけでなく、腰痛・骨粗鬆症などの予防になるとのこと。次のサイトを紹介しよう。
健康な身体と心がいちばん
空気はうまいし、鳥の囁きや川のせせらぎは心地よいし、緑は目にいいし、精神的に悪いわけはないわな。
森林浴、フィトンチッド、マイナスイオン、オゾンなどの言葉でストレス解消や精神安定に
効果があると言われているが、林野庁は森林セラピー研究会を設立し、医学的に解明を進めている。
多少、クラシックや民族音楽、抒情歌等に興味を持つようになる。奥穂や北穂小屋で聴くクラシック音楽はなぜあんなにも心揺さぶるのだろう。
義務教育(こちらにも問題あるが)では、歴史で本来学ぶべきこと、音楽や絵画の楽しさを教えることなく年代や人、作品等の羅列詰込み教育であった。後は社会人になって自分で見つけなさい、勉強しなさいという事か。故森林学者高橋延清氏のような方はそのような義務教育の対極に居られた方だろう。少し時代よりは早かった人と思える。
小生の職場では退職後大学に通い直す方、語学を勉強する方、就職の傍ら週末を利用して大学の講座を受ける方等が居られる。結構過酷な職場環境であったと考えるが似たような思いからであろうか。敬服する。
そりゃあ狼が居た頃や今でも熊が出るようなところで一夜明かしたら怖いでしょう。
星影瞬く以外光の無い夜が明けゆく時間は、遥か昔の人類に思いを馳せる。
小椋佳の「山に抱かれて」の一節
山に抱かれて 木々を愛し 風にとけて 生きてみよう
さだまさしの「道化師のソネット」の一節
僕らは別々の山を 夫々の高さ目指して 息も継がずに登っていく 山人達のようだね
当然ながらいつでもどこでも手に入るわけではない。遭難して、あと食料が何日分ということになるかもしれない。そこではコンビニは無いし、金はただの重石でしかない。
特に冬は事前に本で予備知識を得て行くが、いろんなことが起こる(三脚が凍り、収納できなかったこと、靴の紐が凍りしばらく脱げなかったこともある)。
日本人は山からの水を飲料や稲作等に利用してきたし、驚いたのは、森の落ち葉や鮭の死骸が養分となって海に注ぎ、それがプランクトンそして漁場を育てているということ事実。
プレー後の一杯が楽しみでゴルフをする人もいますが。
蕎麦はざる蕎麦で。当地の水を使った蕎麦・だし・わさび・ねぎによるコラボレーションは、身体が清められる気がする。
北アルプスから実家へと車を走らせると少しずつ微妙な季節の変化を感じ取ることが出来る。川の流れに沿って走れば山から海へ注ぐ水の如くである。海から蒸発した水が山に降り注ぐように又、山に向かうのは自然なこと?
全て神様の思し召しということでしょうか。
そりゃあテント生活に慣れてはいるし、サバイバルグッズが揃っていると言えば言えますが。
父は山の絵を描くのが趣味であった。少しずつ解りかけている。
はっきり言って自宅から駅まで歩くだけであ〜しんどと思ったりするのに、よく何時間も歩けるもんですわ。それも重いもの背負って。しかし昔の人はわらじで東海道や中仙道を歩いたんだから、やれば出来るってことですね。エーデルワイスの坂倉さん90才なのに徳本峠越えて上高地まで行くんですか。そこまでは…。
坂倉登喜子…登山家。明治43年生まれ。昭和30年には、女性の登山グループ「エーデルワイス・クラブ」を設立。同クラブの名誉会長。上高地のウエストン祭に毎年島々から徳本峠を越え上高地まで歩かれることで有名。90歳の時徳本峠に立たれるお姿をテレビで拝見した。94歳となられた今年2005年6月のウエストン祭にも参加されたとの事。
俗的ですが、この自然を後世に残していきたい。
全て無料で、普通の天候という条件で。涸沢でヒュッテとテント泊ではテント泊を択びたい。上高地で帝国ホテルとテント泊では? う-ん?
尾瀬の禁煙区間は長い。寒い時期でのテント内の喫煙は辛い。持ち物やごみも多くなる。何よりスタミナ維持に不利で、以前より止められればとは考えていたが、2002年12月30日より現在禁煙中。
腕を上げたきっかけになったと将来言えるようになれるか。
自分でも何度も同じ場所に足を向けることを不思議に思う。
白旗史朗氏、田淵行男氏、等エッセイも奥深く、それらの方のエッセイを読めば、その方の人生や哲学が写真に反映し、昇華されていることが解る。しかし白川義員氏は凄過ぎる。写真集も高額過ぎて手が出ない。
白川義員…山岳写真家・冒険家。主な作品は「世界百名山」「南極大陸」等。NHKのドキュメンタリーでも有名。毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞、菊池寛賞、日本芸術大賞、全米写真家協会最高写真家賞等受賞は数知れない。
白旗史朗・田淵行男両氏には記念館があり、WEBサイトも有る。
それは自然への讃歌であり、感謝の表現であることが前提となる。NP(Nonprofit 非営利)であれば尚良いが、山菜や魚を頂くレベルならOK。
冬が長ければ長い程春を謳歌できるし。
少しですね。アウトドア料理や男の料理の類の本も買い、トライしています。
やはりログハウス(決して豪華でなく)のウッドテラスでシェラカップのコーヒーを飲みながら遠方の山を眺むるなんていいですね。
決して著名な冒険家のように一番であるとか頂上に辿り着くことを目標や喜びとしているのではない。が、最近のギアやマテリアル(道具・衣服)は困難を少し容易に安全にしてくれ、それなしでは入ることが許されない世界へ非力な自分を導いてくれる。
いろんな山に登る人もいれば小生のようにほとんどいつも同じ場所に通うことが多い人もいる。ピークに拘る人もいればそうでない人もいる。花に会うのが楽しみであったり、食事や人とのふれあいであったり、同じ登山でも夫々の楽しみ方がある。自宅の裏山が富士山よりも偉大であったり、好きであっても何ら問題無い。
足の悪い方が登られる横から皆の励ましの声が矢継ぎ早にかかり、感動したことがある。怪我をした方に皆が手を貸そうとする。小さい子供には、「えらいねえ」とか「がんばって」という声がかかる。山では皆がやさしくなれる。
いつも現像された写真を見て自分が持ち帰った感動の何十分の一も記録されていないことにがっかりする(自分の力のせいでもあります)。
エッセイのページで「1本のダケカンバ」にも書いたが、高山植物に感動する人は多い。なんといってもあの厳しい風雪に耐え、短い夏に精一杯咲こうとする姿は感動的だ。岩と瓦礫ばかりの中で1本の花に出会った時、疲れた身体・精神を和ませてもくれる。
夜明けを待つ時、星を狙う時、刻々移りゆく月・星の軌道を見て、この地球に乗って銀河を漂う自分を感じられる。宮沢賢治の童話のような世界である。はるか昔の人は天体より暦や航海の術を得た。そんなこんなでロマンを感じる世界である。
山では高齢者(70歳代、ときには80過ぎ)の方の元気に登られる姿を拝見する。
本当に体力のある人には敵わない。体力のある人に合わせてスケジュールを組むと大変なことになる。その差は短い行程では判らない。
猛禽類が食している様を見たことがある。鴨や雷鳥の子連れを見ても生き残るのは少数と聴く。カッコーなどの托卵(鳥が、他の鳥の巣に卵を産み、抱卵・育雛(いくすう)を托す習性。そこにはヒナどおしの戦いもある)も厳しい世界であり、複雑な思いを抱かせる。
きつい道程を得て、たどり着いたとき出会えた山稜の荘厳な姿。寒さに震えながら待ったモルゲンロート(山の朝焼け)。今までの苦労が一気に吹っ飛ぶ瞬間である。
とんぼや蝶などは本当に短い命を懸命に生きている(ように見える)。ただ生きるために生きたいとは思わない。が、それは潔い。風・雨などの自然の力と植物・野生動物の躍動感。妙にマッチしているように見える。
いろんな所へ行ったのだろうが、風景の記憶は薄い。恩師・友との語らい、お弁当を作る母の姿、そして怪我のネガティブな出来事。そんな思い出だけだ。弁当はおにぎりにたくわんやウィンナーなど。しかし塩を付けるだけのゆで卵がとんでもなくおいしかった。遠足が特別に楽しみだったわけでもない。しかし、水筒・おにぎりを入れたリュックを背負えば、気持ちは高鳴った。何が大切か、幸せってどういうことか、本当は幼き頃より神は我々に教えてくれていたのである。
青い空、真っ白の雲、憂鬱な雨、寒い朝・冷たい水、身も凍る木枯らし、さわやかな新緑、天に輝く冬のオリオン、川辺の蛍の神秘的な明かり、暑い夏とセミの声…。幼い頃は確かに存在したし、その何百倍もの昔の記憶が身体に息づいている。そんな記憶の隅にある風景と出会うために出かけているだけなのである。
戦国時代のカブトやヨロイ、弓矢・刀、そんな道具は男の分身である。かつての馬がバイクや車になり、刀がナイフやピッケルに姿を変えても本質は変わらない。野球のグラブやバットを手にした少年は自分の中では大リーグの選手と同等である。そんな自分の分身たちとともにフィールドに出る。男心を満たしてくれる。
かつて各地の高山は神の棲む聖域であり、修行僧の修行の場でもあった。今ではかつての面影はなくなった(「傷だらけの神々の山」などの本参照あれ)が、都会で鈍感となっている自分に時々そんな神の存在を突きつけてくれる。確かに地球上から聖域は無くなりつつあるのだろう。しかし、科学も哲学も宗教も「神の領域」に達することは出来ない。おこがましいことなのである。(手塚治虫のブラックジャックをご覧あれ)
F1で戦うホンダ等のエリート企業戦士達は、一定のF1での戦いを経験した後、日本に戻り、市販車にフィードバックすべく開発セクションに配属される。しかし、そんな会社の思いとは裏腹に退職してしまう人が多いそうである。そりゃあそうだろう。あんなコンマ何秒を競う気持ちの高揚と一瞬たりとも気を反らせられない緊張感。それを経験した者に普通の仕事は冗長すぎる。山の朝焼けなどの刻々と変化する状況を描写せんとする時間は、そんな研ぎ澄まされる時間である。
山は季節の半分を雪に覆われる。そのためか雪解けとともに我遅れじと草木は芽吹き、花萌え出る。ゴールデンウィークが近づくと自分も気持ちの昂りを抑えきれない。1シーズン(1年)しか生きられない生き物も多い(それより短い輩もいるが)。そんな生命力を感じさせてくれる山の春。人間がこんなに長寿で1年毎にリセットできるのは幸せなことか?
山にはいろんな危険もある。まだ経験が無いが突如クマと出会わすこともあるかもしれない。しかし最も危険なのは、経験・知識・準備不足だ。いろんな悪い状況は想定されていなければならない。特に単独行では自己責任ということを思い知らされることが多い。小生はよく忘れ物をする。また体調悪く思うように進めなかったこともある。これが都会ではリカバリーも可能だが、山ではそうはいかない。下界で自分が何かと他人や周りのせいにしていることを思い知らされる。
見上げるような高い山には凛々しさ(りりしさ)・気高さがある。それは時に小さな自分を大きな目標へと挑ませる力となり、小さなことで悩む自分を笑い飛ばす力ともなる。
名しか知らなかった生物学者レイチェル・カーソンのことはNHK特集でより知ることが出来た。環境破壊の警告を古くから唱えた偉大なる先人である。遺作となったその著書「センス オブ ワンダー」では星空・鳥の声・風の音・海や森の情景とそれら自然にふれた子供の反応を詩情豊かな筆致でつづる。すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見張る感性」を全ての大人に持ち続けてほしいと訴える。
我々は木や花を初めて見て、名を知って、又、ひとつの山を一度登っただけでその山を知り尽くしたように語るが、もっと五感を研ぎ澄ませていろんなことを発見し、感動を持ちたい。
優れた写真家の写真には感性の証が存在する。感性は作品のレベルにも繋がるのだろう
レイチェル・カーソン…1907-1964 アメリカの生物学者・海洋学者。1962年「沈黙の春」で農薬の環境破壊に対して警鐘を鳴らし、女史は化学工業界などから徹底した攻撃を受けた。癌に侵されながらも公聴会に出席し人々に訴えた女史の主張を認め、当時のアメリカ大統領J・F・ケネディは農薬使用制限する法律を制定。地球環境への人々の発想を大きく変えた。その後日本でも環境庁ができ、農薬取り締まり法も制定された。
1999年、アメリカの雑誌「TIME」で「20世紀の偉大な知性」の中に女性でただひとり女史は選ばれた。
冬の寒気と川からの冷水で冷たくなった海の表層は春先下降し、底の栄養塩類を伴った海水が上昇、プランクトンが増え、小魚が集まる。又、オホーツクの流氷はプランクトンを持ち込み、小魚がそこに集まり、それを狙った魚の漁場が出来ることはよく知られている、猛禽類・キツネ・アザラシなどもその恩恵に与っている。森の草・葉・実はもちろん動物に恵みをもたらすが、冬の間も大自然はちゃんと生産活動を行っているのである。
植物は葉や実を動物に提供する。木は鳥や虫に居住場所までも提供する。イワシなどは育ったそのほとんどを他の魚に授ける。アイヌの人などは捕った獲物の一部をその場に残してくる。それはキタキツネや猛禽類などの餌とするためだ。奪うだけではこの地球の一員としての資格はない。
一番感じるのは火山の噴煙を見たときだろう。しかし山で見る雲・霧などの流れ、雷・雨・雪なども地球が生きている証なのだと感じることが出来る。
山では特に水が貴重だ。山小屋で食べ残しは厳禁。電気も風力発電などが利用されている。ここでは資源の貴重であることを教えられるが、普段生活している人間社会で無駄な使い方をしていては元も子もない。MOTTAINAI(もったいない)運動賛同。
MOTTAINAI…2004年にノーベル平和賞を受賞したケニア副環境大臣マータイさんが日本語に「もったいない」という他の国にはないすばらしい言葉があることを話し、日本人が改めて日本人的な生活観の良さを再認識した。さだまさしはこれに触発され、同名の曲を作っている。現在もったいない運動なるものも行われている。
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ぼちぼち…
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