HAZARD
  2002/日本/監督:園子温

 園子温監督の作品を見たのは90年代中盤、「桂子ですけど」を劇場で見て以来だった。終わった後、監督の劇場挨拶があり、観客からの感想はみんな「素晴らしい」「素晴らしい」という反応だった。それはみんな映画関係者だったからというのもあるが、その作品のいかにも自主制作らしい危うさというか、前衛的な危なさとか、そういう指摘もあってよかったのではないかと思っていた。しかし、彼にはそんな言葉を押し殺す迫力もあった。彼は詩人でもあり、また、渋谷で東京ガガガという活動をやっていた。ひたすらガガガと言いながら渋谷を走り回る、無思想のデモだ。集合場所に立ち寄るとそこにはお互いに話しをせずにひたすら一人で待ち続ける、現状に不満そうな若者達が待っていたものだ。そんな今の外山浩一にも似た危うさを持つ園子温をここ10年ぐらい見てこなかった。そして今回この『HAZARD』を見て驚かされた。

 制作年度は2002年。公開されたのは2006年。その間、お蔵入りになっていた。その間のフィルムの保管に問題があったため、映像はクリアではない。これはわざとそうしているかのように思うほど、逆に作品に詩情を与えている。私も感じていた90年代のねじけた時代。その空気に生きて、そして脱出してニューヨークへ行った若者を描く。「眠い日本。眠れない日本。」その大学の空気はやや誇張されてもいたが、だいたいそんな感じだった。その空気の中で園子温は東京ガガガをやっていた。無思想という点では良かったが、当時の日本の空気いや今でも浮いてしまう危うさがあった。それでもぶつかっていく生活を園子温がしていた。題材はニューヨークの日本人ギャングだが、それに園子温自身がよく写し出されている作品だ。主演は今や日本を代表する役者オダギリジョー。当時は形の無かった危うさが形を持って、現代の日本に突きつけている。

 「眠い日本。」それは当時は形の無い空気だったが、現在では形を持っているからさらに悪い。もう、若者では無くなった私には「眠い日本」という思いは無くなってしまったが、日本全体が歳を取って、全てがルール化、システム化されていく窮屈さは感じている。不況により、東京はニューヨークのようになることは無かったが、弱者の弱者に対する搾取は滲みのように拡がって、きっちりと対価を払わせられてきた。暴徒が出てこない分、弱者に対する優しさは歪んでいった。この時代、経過の中で監督が躍進してきことは私自身元気づけられた。気づけば外にも監督は作品をたくさん出している。こんなに見逃してきたのか。早く追いつかなければ。

H19.07.08

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