もう一つのアフガニスタン−1985年

2003/日本/土本典昭


 土本典昭氏個人が写した1985年の人民民主党政権下のアフガニスタン社会の記録映画。カルマル書記長によるこの政権はソ連軍10万人の進駐によって成り立つソ連の傀儡政権と言われ続けた。1980年には国連からも非難決議が為され、この政権を認める国も少なく、この政権下のアフガニスタンは今まであまり知られて来なかった。

 アフガニスタンというとタリバン政権下の映像をついつい思い浮かべてしまい、厳格なイスラム社会、また、中世に似た近代化を拒む社会というイメージが思い浮かぶが、それより20年前のこの映像ではジーパンを履く女性、町中で踊りを踊る若者が写し出される。

 識字率の低かったアフガニスタンにおいて、この政権では教育の拡充と女性の地位の向上、孤児への支援が行われた。教育は無料で、以降のアフガニスタンでは考えられなかった男女共学も行われていた。農村では今まで土地は神の物とされて私有という考えが無かったが、社会主義政権であるこの政権で初めて土地の私有が始まったことが写し出される。

 1989年のソ連撤退、1992年の人民民主党政権崩壊から、ムジャヒディンによる女性に対する暴力が行われていたことは、アフガニスタン戦争当時からアフガニスタン女性団体から言われていた。アフガニスタンの女性達は伝統的にイスラム社会の女性の地位を受け入れていた訳ではなく、1980年代にはある程度の地位を手に入れていてことがわかる。

 革命記念日のパレードでは、他の共産主義国のような無理矢理やらされているという感じが無く、みんな笑顔で祭りのような雰囲気だった。もしかするとこの政権は共産圏の中では一番穏健的で成功した国だったかもしれない。しかし、この政権はソ連の進駐無しでは持たなかった。伝統的イスラム社会はこの政権を目の敵にしていたし、アメリカ、パキスタン、サウジアラビアの支援の元、ムジャヒディンが送り込まれ、パレスチナと並ぶ、イスラム教の聖戦のように言われてきた。今度この政権が崩壊すると、ドスタムのように寝返った軍やムジャヒディン達は山賊のようにやりたい放題やるようになり、荒廃の時代を迎える。それに対するイスラム神学生の反発がパキスタンの支援の元さらに過激なタリバン政権を作り出した。

 アフガニスタンは最近報道されなくなったが、担当している知人の官僚に聞いたところ未だに無茶苦茶な状態だ。今はNATO軍が駐留し、カルザイ政権は維持されているが、撤退したらどうなるかわからない。この状態でアメリカもイラク戦争を何故そこまで急いだのだろうか。そこまでしてやる必要があったのか。911、アフガニスタン戦争、イラク戦争。これらは未だに目に見えているものだけでは原因がしっくり来ない。間に、イスラエルによる自治政府弾圧、イランを中心とするイスラム教シーア派の台頭、中央アジアでの民主化ドミノ、プーチン政権による旧ソ連共和国に対する圧力を入れてみてもまだ繋がらない。超大国の情報操作は巧妙だ。そこにはまだまだ目に見えない強大なパワーゲームが行われたことが感じられる。全ての始まりは私が思うに1998年のパキスタン核実験から始まったと思われる。

 1985年。私は中学生だった。この映像に映る少年、少女達はまさに私と同年代だ。彼らは後に続くむごい時代の中で生き残れたのだろうか。今も元気にやっていけているのだろうか。もう22年前だが、この映像のクリアさと同様、私の当時の記憶も陰りが無い。

H19/07/16

back