徳富猪一郎 『陸軍大将 川上操六』 1942


 この本は日中戦争のまっただ中、太平洋戦争の少し前に発行された日清戦争の功労者というか戦犯というかという軍人 川上操六について書かれたものです。著者としては当時の帝国陸軍が参謀本部として独立した権限を持ち、アジア太平洋まで支配するほどの力を持つようになった大計を最初に作り上げた人物として評価しそれを称えるものとして書かれています。いかにも戦前戦中らしいトーンで読むのに飽きが来ますが、端緒端緒を見るとそこから漏れる川上操六像も書かれているのです。

 私は彼らが「大東亜戦争」と言う日本軍国主義の拭い去れない汚辱について、罪の部分については戦後左翼が明らかにしていったのに対し、その原因については総括しきれていないと考えています。90年代に自由主義史観という戦後左翼の歴史観を自虐史観だと批判する考え方が生まれました。彼らの歴史に対する評価はもうすでに総括されているものに対するアンチでしかないし、けして同意できるものではないのですが、その前からも現れ始めていた戦前の見直しは戦後左翼の思潮の中では見えなかったものを見えるようにしました。それを機に外国の手ではなく日本人自身によって日本軍国主義の汚辱の原因を総括しなければならないと思うのです。

 このテーマに取り組んだ漫画では漫画評でも書いた『虹色のトロツキー』を書いた安彦良和がその後描いた『王道の狗』が上げられます。石原完爾が言う王道とはなんなのか?それを考察すると戦後の右翼左翼という価値観では分析できなく、表面的には右翼なのにむしろ亜細亜主義という左翼につながってくる日本のイデオロギーが見えてきます。その中で亜細亜王道と西洋覇道という視点から、明治維新後の日本の行き先を分けたとされる日清戦争を分析しています。亜細亜王道を掲げる主人公と西洋覇道で日本の舵を切る陸奥宗光という対立で『王道の狗』は描かれているのです。(王道という言葉は孟子の言葉ですが、まあ蒙古帝国の例を引用するまでもなく、本当にアジアに亜細亜王道なるものがあったのかどうか、西洋だけが本当に覇道なのかという点は置いておいて、これからこの時代の亜細亜王道、西洋覇道という言葉を使います。)

 現在、週刊スピリッツで連載中の江川達也が描いている『日露戦争物語』は今まさに日清戦争を描いています。この作品も明らかに『王道の狗』を意識して書かれています。ここでは『王道の狗』では西洋覇道で冷徹な人物として描かれていた陸奥宗光を日本のために思い悩んだ人間的人物として描いています。むしろ、日清戦争を冷徹に進めていったのは『王道の狗』では脇役的な扱いを受けた川上操六であるとして、川上こそ第2の諸葛孔明といわれた策略家であり冷徹な人物として描かれているのです。それで私はこの古い本を読むことにしました。

 『陸軍大将 川上操六』でも日清戦争を陸奥宗光は政治的手段と考えていたのに対し、川上は積極的に日本陸軍の覇権を作り上げた人物として賞賛しており、日清戦争という事件を起こしたことについて言えば『日露戦争物語』の川上操六観は間違っていない見方かもしれません。しかし、日清戦争に対する見方として亜細亜王道と西洋覇道という見方をすると両者はまったく逆の立場となるのです。陸奥宗光は日清戦争を西洋列強とのパワーゲームの脈略で捉えており、朝鮮や清に対しては馬鹿にした見方を持っていましたが、川上はむしろ清と手を組み、南下するロシアをはじめとする西洋列強と戦うという視点で日清戦争を見ていました。現に川上は戦後清からの留学生を積極的に受け入れており、フィリピンの独立戦争には理解を示し革命政府に武器援助を行っているのです。(武器を運んだ船は途中で沈没し失敗はしましたが。)『陸軍大将 川上操六』ではこのことを太平洋覇権への牽制としています。しかし、さらに言うと『王道の狗』では最後主人公の新たな同志として描かれ、さらに中国人からも慕われたアジア主義者の宮崎滔天とも川上操六は交流があったのです。フィリピンへの武器援助は宮崎滔天を通して行われているのです。

 川上操六は日本軍国主義を方向付けた人物にして亜細亜の解放と友好を夢見た人物であり、日本軍国主義を総括する私としては彼もどう位置づけていいかわからない人物であったのです。しかし、話を戻すと同じ日清戦争という日本軍国主義を決定づけた人物でありながら、陸奥宗光は西洋覇道の人物であり、川上操六は亜細亜王道の人物であることを確かでしょう。現に日清戦争を朕の戦争ではないと言った明治天皇は陸奥のことは嫌っていたようですが、川上操六とは親交があったそうです。『王道の狗』では少ししか出ていませんが意地の悪そうな策略家として描かれ、『日露戦争物語』では冷徹な策略家として描かれていますが、実際彼の写真を見るとそういう人物には見えません。『陸軍大将 川上操六』では川上の性格について人を褒めはするが叱りはしない、黙々として温和な人物だったと書かれています。カミソリ陸奥と言われた陸奥宗光とはまた違った人物像が見えてきます。多少の違いはあるにすれ今回のイラク戦争のラムズフェルドとパウエルの関係にも相似していると言えるでしょう。「大東亜戦争」では確かに逆でしたが、文官の方が武官より帝国主義を推進してしまう例があるのです。

 川上操六にとって日清戦争は起こした理由は甲申事変から見えるような清国が亜細亜の盟主であり日本朝鮮を見下した態度を改めさせるための戦争であったと思います。それによりせっかく起こった東学党という朝鮮の農民運動が潰され、外国人新聞記者が目撃した旅順大虐殺という事件さえ引き起こしましたことも確かです。精神主義一辺倒で補給を重視しなかった日中戦争で起きた虐殺の数々と違い、補給を重視しつつもそれが出来なかった日清戦争では理由が違いこそすれ、日本により起きた不幸には違いがありません。川上操六の死後起きた日露戦争では、川上が考えるように清と手を組みアジア王道により西洋覇道のロシア南進を押さえるという形にならず、結局清国に代わる1国アジア主義、または日本の西洋覇道への仲間入りという形になってしまいました。

 ここから見えることは共産主義と同様、日本軍国主義も掲げた理想とそのための手段として様々な血なまぐさいことが許容されてしまったことです。そして理想が教条主義となってさらに不幸を生み出してしまうという構図です。20世紀のユーラシア大陸はその不器用な近代化の歴史だったと見ることができるでしょう。


H15.06.08
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