本著は『ワイルド・スワン』で有名なユン・チアン氏とロシア通とされるジョン・ハリディ氏の共著。外側から見た視点で毛沢東の悪事を余す所無く書いてある。まずは私にとって衝撃的だったところを以下にまとめてみました。(衝撃的でも信憑性が低い箇所は除いています。)
細かいところは書かないが、ここで描かれた拷問や虐殺の詳細は中国側が発表した日本軍が行ったとされる残虐行為と同様にひどいものだ。また、革命前の毛沢東については理想と情熱に溢れた革命家だと思っていたが、私利私欲のために同志を利用し残虐に殺害するなど、革命後よりも残虐な行為が行われている。これだけ見るともはや何の弁護もできずに、20世紀最悪の独裁者は毛沢東であるは決定的だ。毛沢東はスターリンよりはましと言われてきたが、スターリン以上だ。 私が毛沢東に興味を持ったのは実は『毛沢東の私生活』(李志綏著 新庄 哲夫訳 文藝春秋 )だった。この本は毛沢東の主治医だった李志綏が1994年に題名通り毛沢東の私生活を暴いたもので、中国共産党の逆鱗に触れたものだった。実際、出版されてすぐ後に李志綏は謎の死を遂げている。そして『「毛沢東の私生活」の真実』という『毛沢東の私生活』に登場する人物からの反論もすぐに発行された。しかし、私は作り上げられた毛沢東像よりもここで書かれた生身の毛沢東という人間の巨大さに圧倒された。ニーチェの言う超人は中国にいたと帯に書かれていたがまさにその通りだった。吉本隆明も『夜と女と毛沢東』という本を書き、『毛沢東の私生活』はもっとも興味深かったと書いている。 私は1992年の春に中国に行ったが、その時には中国共産党にも、毛沢東にもまるで興味が無かった。毛沢東像も建っていたが、それを見る度に白々しく思ったものだ。しかし、『毛沢東の私生活』から浮かび上がる毛沢東は、『蒼天航路』(王欣太 李學仁(原案) 講談社)で描かれる曹操のように、人並み外れた見識を持ちながらも理想主義の残酷さと現実主義の人間味も併せ持っているという一括りにできない存在だ。(『蒼天航路』の最初でも毛沢東が出てくる。逆に『蒼天航路』の曹操は毛沢東を意識しているようだ。)この人間性は西郷隆盛や石原完爾といった日本人的な人間性とも違う。それは中国という土地の地政学的な特徴から出てくる存在で、日本のような和が通じる社会や、戦後の中産階級による平等な社会からは現れない存在であろう。老子は「大道廃れて仁義あり」と言ったが、毛沢東は中国という矛盾に溢れたところからこそ現れる存在だ。 私はその後、S・リッテンバーグの『毛沢東に魅せられたアメリカ人』(筑摩書房)、産経新聞社の『毛沢東秘録』を読んだ。毛沢東に批判的に書かれた『毛沢東秘録』でさえ『毛沢東の私生活』で感じた毛沢東の印象が感じられた。 この『マオ』では徹底的にそれが否定されている。書かれていることは実際事実であろう。そして、ここでの毛沢東のイメージはこの上無く嫌悪されるものだ。ただ、それは外側から捉えられたもので、『実践論』、『矛盾論』のような哲学的な思惟については語られていない。 これまで語られてきたヒーローとしての毛沢東像は、本著を読んだ結果としては劉少奇、彭徳懐にあったものだったと言える。その意味では天安門広場には毛沢東の絵では無く、劉少奇、彭徳懐の絵を掲げるべきかもしれない。しかし、もし毛沢東がいなかったとして、彼らの政権でソ連から独立した政権となっていたかは疑問だ。彼らは毛沢東ほど強欲では無かったからだ。 また、私は以前中国には矛盾が溢れていると書いたが、本著を読み、その大部分が毛沢東により引き起こされたものかもしれないとも感じた。ユン・チアン氏は革命前の中国についてそんな矛盾は無くうまく行っていたと語る。日本人から見るとそれでも古来から矛盾を持っていたと思う。そして本著からは意図的に外されている毛沢東像があると思う。それはそれ以前に読んだ毛沢東に関する著作から感じたイメージだ。毛沢東は20世紀でもっとも人命を奪った独裁者に間違い無い。哲学による統治というものが人類にとって災悪にしかならないということもある。(私が思うに哲学者はいつもサディストだ。) それでも毛沢東は私にとって雲の上にいるような捉えきれない存在としてある。 |
※1 富田事件について
福本勝清著『中国革命を駆け抜けたアウトロー』(1998中公新書)によるとAB団分子の粛正は党中央の指示の元、全国の紅軍根拠地で行われており、四川省の張国濤の紅軍においても例外ではなく行われたという。(むしろ、都市型革命理論を持つ張国濤はその後も粛正を続けた。)AB団分子の粛正により崩壊した革命根拠地も多数あるという。そのような極左路線はコミンテルンつまりスターリンの指示でもあったという。富田事件が起こる過程は以下のようになる。
@ 毛沢東、朱徳の拠点だった井岡山の客家と江西省土着民の対立。(しかも、朱徳は客家で、江西省土着民としては気が気でなかった。) A 党中央が毛沢東の軍の基盤である井岡山の客家の土匪を排除するように言っていたこと。 B Aの理由により毛沢東の留守中に江西省土着派の朱長楷が代わりに来た彭徳懐軍を使い、井岡山の客家の土匪、袁文才、王佐を殺害したこと。 C Bにより井岡山の客家と江西省土着民の対立が抜き差しならないものになり、党中央からのAB団分子の粛正要請で土匪や土着民が粛正され、その過程で江西省土着派の李文林を毛沢東が逮捕したこと。
土匪が多かった紅軍と土着民の対立と党中央からの極左路線の強要。様々な要素が関係してこの事件は発生している。『実践論』において毛沢東はこのような極左教条主義を批判しており、単純に毛沢東のせいとしている『マオ』の記述はやはり問題がある。(H20.09.15追記)
※2 長征と蒋介石について
産経新聞の『蒋介石日誌』では、アメリカが公表した蒋介石日誌から、ソ連に留学した息子蒋経国のためにこうしたとするこの説を否定。『マオ』は膨大な資料の提示で信憑性を保証しようとするが、やはりそのまま信じるのは危険で相当慎重に読む必要がある。(H19.08.12追記)
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