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亡き父の遺骨を求める心の穴は実は、自分を折檻し続けた母に求める心の穴だった。だから、遺骨がついに見つかった時、父違いの弟に「これで万事解決だな」と言われた時も解決ではなかった。しかし、その弟の発言は間違ってもいなかった。それで、父に捨てられた母への復讐として終わらせればよかったのかもしれない。でも、照恵は母が自分への愛を必ず持っているという幻想を捨てられなかった。照恵は弟に母が自分を置いて逃げたことを憎んでいるか聞く。そのままだと弟は答える。それでも母に会いに行く。今更、折檻はしないにしても、そのままだ。何も語らない。求めているものは本当に幻想だった。いじめられっこがいじめっこに再会した時のように、あいかわらず母は娘への憎しみと軽蔑の目を送る。もう、照恵はそれ以上母に愛を乞うことさえできなくなってしまった。 照枝と母の溝は埋まらなかった。照枝は虐待され続けられた人間にありがちな確固とした自分を持てない人間だった。母も弱い人間だったが、そんな自分を維持するために虚勢の自分を作り上げていく。照枝は母が自分に愛を持っていてくれるという幻想を捨てられなかったため、折檻されても無理矢理の笑顔を作り、それがさらに母を弱い自己を刺激して、最後までお互いは理解できなかった。 しかし、照枝には娘がいた。確固とした自己を持っている点で母に似た娘がいた。今では、照枝はその心の穴を娘が埋めてくれる。そのことに母に会ったことで照枝は気づく。照枝は確固とした自己を持てず、それは母のせいでもあったが、それが母への理解に行かなかった原因であった。ボロボロの自己はひたすら救いを求めるしかなかった。それが母の折檻が原因にしろ。母の救いは復讐されることだったのかもしれない。それで虚勢の自己をはがして欲しかったのかもしれない。母はいつも通りの憎しみと軽蔑の目で、いつまでも娘の後ろ姿を見ていた。自己を持てる娘はそれに気遣った。でも、照枝は振り返ることができなかった。振り返ったとしても、歪な笑顔しか示せなかったのだろう。この親子はそれぞれの歴史の中で行き違っていたのだろう。 これは、ある意味、片思いやストーカーの感情にも似ている。もろい自己、いつまでも堂々巡りする罪悪感、そして相手さえ見えなくなる。昔からあったのかもしれないが、現在のは、心が弱い人間が受けとめられずにいる現代病だ。もし、心に余裕があるのなら、いい加減にしたり、手放したりせず、強く受けとめてはっきりさせよう。みんな心が弱すぎて、いい加減にして、目を当てたくないから、抹殺してしまうのだ。そして、どこまでも宙に浮いてしまう人間が集まって暴走した時に、やっと気づいたのかと思えば、今度は虐殺するのだ。私はいろいろなものを背負った子供が集まる普通教育制度には賛成だ。小さいうちから1種類の人間だけでなく、様々な種類の人間と会い、受けとめる度量は付けておかなくてはならない。 |