チェ・ゲバラ&カストロ

2002/アメリカ/監督:デヴィッド・アットウッド


 アメリカのTVシリーズ『FIDEL』を映画化した作品。話の進み方は非常にダラダラしている。邦題はチェ・ゲバラが付いているが、原題通りフィデル・カストロが主人公。革命の輝きとその革命が堕ちていく様を描く。

 カストロはアメリカ人にとってはもっとも憎むべき相手だ。北京で会ったアメリカ人にカストロとキューバが好きだと言ったら"THIS IS FUCKIN THING!!"と嘆いていた。なぜならキューバ危機でアメリカ本土の間近に核兵器を突きつけられたからだ。現在の日本にとっての北朝鮮のようなものなのだ。しかし、キューバ革命の英雄チェ・ゲバラのヒロイズムはソ連が崩壊した後でさえラテンアメリカに残っている。それはアメリカも認めざるえない。この作品はそんな感情で描かれているので何かしっくりこないものとなっているがその背景にある感情は興味深く、そして日本人にさえ突きつける感情と言えるかもしれない。

 この作品はカストロには割り合い同情的に描かれている。カストロは当初共産主義のためではなくキューバの独立と民主主義のために戦ったと評価している。だから革命中カストロは捕虜を全て開放している様が描かれる。対照的にチェ・ゲバラについては教条主義人物と描かれている。革命中の戦いでもゲバラはおまえはなんでバチスタ(アメリカの傀儡独裁者)に付くんだと言って捕虜を殺す様が描かれる。そして、革命後は、グアテマラで反革命派に革命がつぶされた例を上げバチスタ側の要人の処刑を主張する。キューバ危機の際、ソ連がキューバからの武器撤退をするとソ連を帝国主義と批判して孤立していき、最後ボリビアでCIAに「君はキューバのためにもアメリカのためにもソ連のためにもならなかった」と捨て台詞を吐かれて殺される。この作品ではゲバラに対してはかなり悪意が込められている。イコンのように使われるあのベレー帽の写真以外のゲバラの実際の写真はここで描かれているカストロの表情に近い。この作品では神経質すぎる顔をしている。また、ここではキューバを出ていきなりボリビアに行ったように描かれているが、実際はコンゴに行った後、ボリビアに行った。

 最初と最後はカストロを寂しい独裁者の現状として描く。かつての革命の栄光の写真を眺めながら。革命前は同志であったが革命後20年牢獄に入れられたマチスにカストロのことをこれではスターリンだと言わせる。また、ゲバラと並ぶべきキューバ革命の英雄だが謎の死を遂げ、ゲバラと比較して有名ではないカミロにはカストロに対して選挙を行わないのかと問い詰めさせる。この作品としてはアメリカの傀儡政権を倒したということであっても革命は認める。しかし、その後、共産主義に向かってしまったことが悪かったのだという主張だ。キューバの革命は確かに当初は共産主義革命を目指したものでは無かった。しかし、自らソ連に向かっていったのではなく、その後のアメリカとの対立から仕方無くソ連に向かっていってしまった点が大きい。アメリカ人向けに作った映画なのでそこはきちんとは描かれていなかった。

 確かにキューバにおいても革命後、革命は輝きを失い、バチスタよりもずっと強固なカストロの独裁政権が続いている。粛清があったことも他の共産主義革命と同様だ。私に対して突きつけているのはキューバ革命でもイラク戦争以上の死者が出ていることでキューバ革命を支持するのならイラク戦争はどうなのかという疑問符だ。フセインの独裁政権が崩壊したことは反米武装勢力さえ支持とは言わないないが認めているという事実。(文藝春秋平成16年9月号「「テロ実行犯」独占四時間インタビュー橋田信介さん殺害の瞬間」参照) イラク戦争は革命だったのか?

 昨今は革命後の粛清及び独裁から共産主義がいかに暗黒であったかという点ばかりが強調される。それは認めざるえない。しかし、共産主義に何故あれだけの国が向かったのかといえばそこに平等という理想があった。最近日本で会った中国人にそのへんを聞くことができた。彼はまさに文化大革命の時代に大学生だった。最近北朝鮮がいかに偏狭な独裁政権であることをメディアが伝えるが当時の中国もそのような感じだったという。文化大革命は今の北朝鮮のように強制だったのかと聞くとやはり上からの強制であったという。さすがに脱北するとすぐ処刑ということは無いがそれは程度の差だろうという。だからあの雰囲気は分かるという。全体の雰囲気が朝毛沢東語録で始まり、夜毛沢東語録で終るという生活をさせる。北朝鮮も日本から見ると酷い生活が行われているように見えるが人々の生活の中ではそれが当たり前になってしまったいるというのだ。逆に情報は管理されるので日本や外国の情報は親殺しがあったとか悪いニュースしか伝えないために、いかに日本や外国が怖いところかというイメージを持っているという。現在の中国は随分変わってきたがそれでも胡錦涛勉強会といったものが今でも行われているという。

 日本に来て思ったのがやはり日本には不平等があるというところだという。今ではそれでもまだ日本の方がいいと思うが、毛沢東時代の中国は完全な平等だった。給料はみんなおんなじだったという。現代の中国の農村ではみな毛沢東時代への回帰を求めているという。この前の反日デモもその脈絡で捉えなければならないのかもしれない。実際搾取しているのは政府なのだが、日本が資本主義流入の象徴になってしまっているのだ。文化大革命のように全体主義でやってしまうことは間違いだが、毛沢東には哲学があったとも言う。ただ粛清は文化大革命そして大躍進よりも前の反右派運動の時から激しかったという。逆に言うと大躍進の失敗の芽が既に反右派運動にあったということだ。

 ソ連がいなくなった今、民主化という大義のもとで一番革命を輸出しているのはアメリカだ。ウクライナやキルギス、ウズベキスタンで起きている民主化のドミノはまさにそれだ。この歯切れの悪い作品『FIDEL』はそんなアメリカがどうキューバ革命を消化しているかを示しているが、それは逆にアメリカが革命というものを今まさに消化中というところなのだろう。共産主義だけは認めないだろうが今まで個人主義の競争社会だったアメリカが平等というものも今まさに消化しようとしているのかもしれない。今の中国は民主主義でもなく、平等すら無くなった。しかし、中国とアメリカは私には割りと似た者同士に見える。毛沢東の革命中は仲がよく、革命後も建前では仲が悪いように見せて感情としては仲がよかったようだ。その間にいる日本がその間でどのように存在感を示してくかも考えさせられた。

H17.6.4

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