憲法改正について10月28日自民党新憲法草案全文が発表された。憲法改正の論点というか目的とも思われる憲法9条については1項はそのまま残された。しかし、2項以降、自衛隊は「自衛軍」となり、自衛とともに海外派遣を認める文言となった。そして、「自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。」と憲法という変えにくい法で定義するのではなく、一般の法律で規定できるものとなった。 私は自衛隊が「自衛軍」になるのであれば、イラクからは撤退した方がいいと考える。派遣から今日まで自衛隊に一人も被害が出てない理由の一つに軍では無く、人道復興支援のために来ているという大義があったのではないだろうか。他国の軍が自分の国に入るということはどの国の国民感情でも不快感を与えるものではないか。 自衛隊と憲法9条の矛盾は戦後60年ずっと議論になってきた。しかし、矛盾はあるにしても戦後60年戦争の留め金にはなってきた。それが戦後60年の実績ではないだろうか。最近、戦前は共産党の武闘派書記長、戦後は右翼と呼ばれた田中清玄氏の自伝(『田中清玄自伝』文藝春秋 1993年)を読んだ。天皇制護持の立場と当時の日本共産党からの批判から右翼と見られたのかもしれないが、今から見ると一貫した左翼の人だったように見える。そんな田中氏の言を以下に引用する。(『田中清玄自伝』P.260) 「PKO推進論者の中には、自衛隊を海外に出したって、日本が軍国主義になるはずがない。そんなものは太平洋戦争ですっかり消えてしまったと言った人も多いのですが。」大正デモクラシーから一気に軍国主義に向った時代を経験した田中氏ならではの発言だろう。ここで注目すべきなのは戦前戦中の軍国主義に向うのは意外に簡単だということだ。たとえ戦後60年の実績があると言っても。そこから一点を切り崩してしまうと一気に軍国主義にむかうことは意外にたやすいのだ。この発言は湾岸戦争時のPKO問題を念頭においての話だが、イラク戦争後ではついに派遣した。そして世論は先の大戦を賛美しはじめている。 前にも書いたがこの憲法9条の改正については集団的自衛権のためにアメリカが手引きしている改正だ。それが憲法改正は日本の自立のためとすり替えられている。日本の自立というのならば、私は第一条の象徴天皇制の改正こそ、アメリカが作成したとする憲法からの離脱だと思う。 文化人類学を大学でかじった私からすると象徴という概念は当事者の概念というよりも、他者から見た概念に見えるのだ。西洋が自分達の「文明社会」から他の「未開社会」を理解するために人類学(anthropology)は生まれた。人類学において西洋の論理式に当てはまらない「未開社会」の概念のつながりに象徴(symbol)という概念が使われた。例えばヌアー族の「双子は鳥だ」といった言葉のように論理的にはイコールで当てはまらないものを繋ぐものとして象徴という概念を使った。そこから象徴とはなんだという議論が人類学では続き、今の人類学では「文明社会」も含んだ文化を説明する概念として使われている。しかし、当時を考えれば「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という憲法の条文はアメリカが作ったということを「象徴」しているような文言に見えるのだ。 天皇制は他国における君主制とも、王制とも違うということをはっきりさせる意味でも「日本国の祭祀者」とするのがもっとも自然に見える。また、戦前のような天皇制イデオロギーを抑止する上でも西洋から来た概念の上に乗せておくことはよくないだろう。 また、田中清玄氏の言に戻る。田中氏は戦前逮捕されるが、その時の様子をこう語る。 「それから思想検事だった平田勲さん、戸沢重雄さんのことについても、この際是非はなしておきたい。我々思想犯はこのお二人を頂点とした検事陣によって取り調べを受けたのですが、お二人とも「思想犯に死刑なし」ということを、一貫して主張された方です。当時の検事の中には、軍部に迎合して、共産党員は死刑にせよなんて主張した者がたくさんいたけど、平田さんや戸沢さんは共産党員から死刑を出させなかったし、皇室を守るために共産党員を死刑にするというのでは、真に皇室を守ることにならないというのが持論でした。ヨーロッパの中には、共産党を非合法化していない国もたくさんありましたからね。戦前の治安維持法は私も学生時代、戦前の暗黒時代を代表するものとして教わってきたが、その時代にもいい意味での日本文化の懐の深さが生きていた。今はだんだんと失われてきているように思える。ちょうど1年前、今上天皇が永世棋聖の米長邦雄氏に国旗国歌について「強制はよくない」とおっしゃったが、まさにそれを意図したところだろう。今は保守派論陣として有名になった長谷川三千子先生は実は大学の時は私の師で、1年の時は一般教養の日本思想で、2〜4年の時は道元のゼミでお世話になった。先生の話は理屈で捕まえようとすると捕えそこねてしまう話なので、言葉だけ捕えると誤解を生んでしまうのだが、イデオロギーになりがちな最近の保守論陣の中でもそのへんのところを理解されている。諸法律は細かい規定を書かなければならないが、憲法は日本国の精神を書くところで、日本の言葉で書くべきだろう。 H17.10.30 |