重信房子と日本赤軍


 重信房子逮捕から半月が経とうとしている。それに対して私が受けた衝撃とは対照的に世間は冷静で、反応も少ない。80年代には残っていた彼女を英雄視する声も、ただのテロリストという評価に掻き消されていった。レバノンで岡本公三等メンバーが逮捕された時も驚いたが、重信房子の逮捕には驚かされた。しかも日本で。しかも日本の政界に出ていこうとしていたというのだ。逮捕から数ヶ月経って、今まで読もうともしなかった重信房子の著作を集め、自分の中の重信房子を総括してみようと思った。

 私は小学校の頃から重信房子と日本赤軍を畏敬の念で見ていた。その頃は右翼と左翼の違いもわからなかった頃。祖父の影響もあってかこの頃は右翼の方であったと思う。ひょろひょろと人一倍運動神経も力も無かった私は力と英雄に憧れていたのかもしれない。半分右翼だった私はリッダ空港の事件を自分の命を捨て起こしたのだから神風特攻隊にように思い、悪いこととは少しも思わなかった。今となっては一般人があれだけ死んだ事件、「武装闘争が最大のプロパガンダ」という論理には違和感を感じる。しかし、レバノンでは岡本公三は未だに英雄なのだ。やり方は間違っていたとしてもパレスチナ問題に世界を引きつけたことは絶大な支持を得ているのだ。

 重信房子の父は当時の全共闘の活動は血を流していない点でだめだと彼女に言ったという。現代史を見ても革命は血が流れることにより起こる。ロシア革命もそうだが、ルーマニアのチャウシェスク政権に対する革命も血が流れたことにより起こった。平和運動から始まった天安門事件の指導者柴玲もまた共産党政権を倒すために仲間の血が流れなければならないことを自覚していた。戦前血盟団だった重信の父は実体験により知っていた。

 現在は全共闘や赤軍派による革命が起きないほうが良かったと言える。ソ連に利用される政権になることがわかっているからだ。でもその当時の若者にとっては革命こそが真理だった。アメリカに占領され、アメリカのアジア戦略に追随する日本の現実に反発したのだ。煮え切らない運動の現状と追いつめられた果てに血が必要とされていった。

 平和運動から始まった学生達の運動はいかに血の闘争に入っていったか。それには以下のような学生達の現状があっただろう。一つは自分の弱さから出たもの。自分がプチブルジョアな現状。その時の日本の体制である親に対する憎しみ。自己嫌悪。自分が弱いが故に暴力を為してそれを隠したいという心象。連合赤軍がまさにそのようになっていったのではないか。それは自己嫌悪から起こっているために自分と同じような仲間をも嫌悪する。自分はもっとすごいと証明するために凶悪なことをする。そして一番近いプチブルジョアの仲間を総括する。これは現在の少年犯罪にも似た心象だ。そこに建前があるかないかの差なのだ。そしてこれは私自身にも似た心象だ。

 しかし、重信房子は違った。彼女は父を尊敬し、父から純粋革命家として育てられた。そこには憎しみでは無く、ただその時代の理想を実現したいという気持ちからだった。重信房子はその後の声明の通り、連合赤軍のような内ゲバをきびしく批判した。彼女は革命勢力の分離に反対し、団結を常に求めた。そして、自分の中の膿を社会の膿にすり替える教条主義ではなく、パレスチナの人々との交流から行動する現実主義であった。また、自ら文化を愛することが革命家ににとって大切なことも知っていた。その心象の違いが日本赤軍には内ゲバが起こらなかったことにつながっている。そして敗北しつつある日本の学生運動の希望が海外に羽ばたいた唯一の例だ。(※1)

 「武装闘争が最大のプロパガンダ」これは憎むべきことであるが現実でもあった。天安門事件を見ても、ユーゴスラビアを見ても、常にそこには血が要求されている。ソ連のコミンテルンが血の革命の輸出をしていったことは事実であり、それは利己的な帝国主義でもあった。形を変えてもアメリカも革命の輸出をしてきて、今もまた続けられている。過激派と呼ばれる人々はその活動で流された血と共産主義の残虐さが暴かれるにあたり、昔のように英雄視されることは無くなり、犯罪者と見られるようになった。それは正しいと言える。今回の重信房子の逮捕の時の日本の反応もそうだろう。

 しかし、一つ見失ってはいけない点もある。ペルーの日本大使館占拠事件の時にフジモリ大統領はトゥパックアマルとチェ・ゲバラを比較して、テロリストとゲリラは違うと言った。つまり、トゥパックアマルの言っていることには現実的な理が無かった。ペルーの貧困を救うためにはフジモリの方が理があった。ペルーの日本大使館占拠事件はペルーの国民の共感も得られなかったし、ペルーの貧困を救うためというより、組織の存続という保守的な動機からだった。だから彼らの暴力は犯罪なのだ。キューバの解放という現実的理があったゲバラの暴力は違うのだ。フジモリ自身もペルーのテロ撲滅のために多くの血を流した。覆面裁判という公正さを欠く裁判が行われ、国賊モンテシノスと手を組み国家テロにも加担した。今でこそ彼はペルーを革命で追い出されたが、彼がいなければペルーはもっとひどい状態になったであろう。

 日本赤軍にそこまでの理があったかどうかは私はいまだに回答できない。だが、彼らはその60年代日本の学生運動の理想を現実化する上で最前衛であったことといまだにアラブでは英雄であることは確かだ。リッダ空港の事件にしても、彼らが無差別射撃をしたように報道されているが、彼ら自身は警備兵に発砲したのであり、メンバーの一人である安田安之氏は投げた手榴弾が遠く壁にあたって遠くにいかず、他の一般客に被害が出ないようそれに体を覆い被せて亡くなったのだと岡本公三は語っている。それがろくな調査も行われずにイスラエル側の報道のまま無差別射撃とされてしまっている。日本の侵略を正当化し、南京大虐殺を無かったものにしようとしている人々に現在の座標軸で彼らを批判することは理にかなっているとは思えない。(※2) ただ、自分の弱さから来る暴力はけして許してはならないだろう。連合赤軍、現在の少年犯罪やオウム真理教と同様にヒトラーやスターリンはそうだった。

 今の日本の状況は表面上においてまだマシに見えるが、経済、精神面を見てもボロボロでいつドカンと倒れるかわからない状況。(※3) そこに暴力の革命が必要だとは思わない。しかし、それを改革できる勢力がどこにも無いのも現状だ。今や国民一人あたり600万円以上の国債で利権を貪りそのために福祉を削り表面上の豊かさを作る愚民政策の自民党。それを倒そうとするがヤジを飛ばす所を国民に見せ、本質は見せないやはり愚民政策の民主党、そしてそれに追随するマスコミ。日本赤軍はやり方は間違っていたとしても私利私欲を捨て真面目にもがいて、その全てを見せてきたのではないか。レバノン政府に逮捕された後の足立正生と結婚したオマイヤさんは彼に惚れた理由の一つに人が何か差別されたり抑圧されたりすることに関してはすごい憤りをもって立ち向かうところをあげている。今の日本の経営者、労働者に少しでもそのような気概が必要なのだと思う。
(敬称略)

※1 よど号もそうだが、彼らは北朝鮮に閉じこめられ内ゲバをやってしまった。

※2 彼らは南京大虐殺を物的証拠無いとして無き物ににしようとしているが、中国側の証言だけでなく、旧日本軍人の証言があると、その軍人まで非難している。正論2000年9月号参照

※3 この点に対する視点として、道徳を求める保守派知識人の主張は一部正しい。

H13.03.03

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