テレビゲームという文化僕等の世代が夢中になったものとしてテレビゲームと漫画がある。アニメに夢中になったのは我々よりも少し前の世代だ。親の世代からはボロボロに言われながらも僕等は夢中になった。そういう私も内容を言われればだいたいタイトルが出てくるほどのゲーム好きだ。中には私が詩で行っている作業がゲームという媒体を通して行われてしまったという作品を紹介したい。 ナムコ『源平討魔伝』アーケードゲーム アーケードゲームだがプレステで『ナムコミュージアムVOL4』として出ています。ポリゴンなど無かった時代だが2次元の世界が日本の絵巻物の世界をいい感じで出しています。山の後ろから頼朝が出てきて尺で叩きに来るシーンはものすごい。 SONY『クーロンズ・ゲート −九龍風水傳−』プレステーション 中国の胡同の世界をポリゴンで作りあげた作品。近代化の中で意味を無くされ形だけが残った「物」達がかっての意味を求めて生きる者に対して襲いかかってくる。負けると「物」になってしまうという発想もすごい。ゲーム性ちと問題があるが感性を刺激される作品だ。 カプコン『鬼武者2』プレステーション2 ちと時代劇から逸脱させすぎたところは難があるが、ところどころがおもしろい。このシリーズは『クーロンズ・ゲート』の影響があるようだ。最後の信長の口から魂がパチンコ玉のように飛び出して黄金像にパチンコのフィーバーのように入って魂を宿らせるシーンがゾクッときてかつ笑えてよかった。 その他にもゲームとしていい作品はいっぱいあるのだが、ここでは文芸の域に達した作品をあげた。主人公を操作してその世界に入り込み、しかもポリゴンで表現された媒体で同じ世界を描かれたら言葉ははたして勝てるのだろうかと思ってしまう。テレビゲームという媒体は文芸の位置でもっと評価されていいと思う。 漫画は週刊ジャンプ型で80年代にメディアとして威力を振るいまくり、90年代は芸術としてまで昇華された。現在はその頃に比べると随分メディアとしての威力も落ち、若手の作品の質も下がってきている。文化というものは消費のうちは威力を振るうが、一度芸術としての位置を持ってしまうと力を失っていくものらしい。テレビゲームも同じで最近の子供はテレビゲームをやらなくなってきているという。やたら難しくなったり、ストーリーがやたら長いことが敷居を高くしたのだろう。ゲームセンターに行っても今は昔のゲームがおいてあったりと新しいゲームが無くなって来ている。 北京で会ったスイス人にパンクロックが好きだと言ったら「君何歳?」とものすごく馬鹿にされたことがある。彼らの文化の位置づけではそうなのだろう。逆に日本では叩かれまくったアニメがフランス映画やタランティーノの映画等で芸術として評価されている。今や日本では若手のアニメの作り手がいなく、外国の方がよっぽど多いらしい。江戸時代の浮世絵が日本では消費以外の意味を持っていなかったのに、ヨーロッパでは芸術として評価されたことを思い出す。芸術はエキゾチズムの始まりで、文化はやはり消費にあるのだろう。 H16.03.13 |