2001/8/10(金)豪運BAR(北京)
北京パンクロック
一昨年北京に行って、最終日にやっと日程がわかるも見られなかった北京のパンクロック。ついに今回見ることができました。場所は北京の北の方、対外経済貿易大学の近くにある豪運BAR。
左は昼間の店の外見。乗馬をしている人の絵があったり、あまりパンクをやるライブハウスという感じではない。かなり昔建てられた洋風飲み屋なのだろう。しかし、店内(写真右)はがらっと雰囲気が変わり、中国のハウスやテクノが響き渡り、インテリアはいかにもロックバーという感じ。ライブスペースは隅にあり、その他の広い店内はテーブルと椅子が置かれている。普段はバーなのだろう。
7時半に入るが店内はほとんど客がいない。まだ早すぎるのだろう。入場料は30元。1ドリンクにスイカの種を炒ったつまみ付き。今日はパンクロックのライブかと聞くと、そうだそうだとテーブルまで案内してくれる。8時半頃になるとやっと客が増え始める。客層は20代から30代。学生達が多い。チェ・ゲバラのTシャツを着た若者もいた。待っている間におばさん達の一団が入ってくる。前の方は気むずかしげな顔。後ろの方は笑ってる。素行を調査する自治会のおばさん達なのだろうか。それとも客?
9時過ぎぐらいに一人の青年が同席する。名は楊さん。26歳。その若さで北京郊外に北京火というディスコを経営する。いろいろ話をする。出演したバンド名等いろいろ教えてもらった。(開始前はどんなバンドが出るかわからないらしい。) セックスピストルズのことを中国語では”性槍手”と呼ぶという。北京ではパンクを”朋克”と書くが広州では”盤古”と書くという。中国アンダーグランドはやっぱり広州が中心となっているようだ。私も日本から持ってきたCDを見せながらMELT−BANANAのCDを一枚あげた。いったいいつ始まるのかと聞くと彼もわからないという。
そして。10時頃やっと始まった。最初は”番茄”。
かわいい女の子がボーカルのバンド。楊さんはよく無いといったが、私はMELT−BANANAに似た個性的な感じで結構好きだった。左のギターは何故か鞄をしょいながら演奏する。
立ち見の場が狭いので客は椅子やテーブルの上に乗り見ている。楊さんがCDを脇に置くように言った意味がわかった。
2番目は”杯牙”。Oiパンク。
この頃から曲の始まりあたりに客が暴れ出す。写真を撮っていた私は揺さぶられた。
3番目は名前がわからず。楊さんも知らなかった。
ドラムはモヒカン。右のベースに注目。モヒカンの逆。真ん中剃って、右と左を立てている。鉄拳の平八みたいな髪型。ここからは客は暴れまくり、ダイブもはじまる。
4番目は”生命之餅”。
もう言葉はいらない。この写真で雰囲気は伝わるだろう。ライブが始まる前に店員が椅子を並べていたが、座ってみるためのものなのかと思ったら、ダイブするための椅子だった。
5番目は”A.U.”。
右のベースの人はベテランといった感じ。このライブのトリなのだろう。このライブには欧米人も二人来ていて、一緒に暴れながら中国人と抱き合っていた。
6番目は”糞犬”。
何故かすぐ終わってしまった。
10時という遅い時間にはじまったこのライブ。終わったのは12時半。ライブのつなぎは日本に比べてすごく短い。終わった後、二人の日本人もいたことに気づいた。このバーの外ではタクシーが待っている訳でもなく、みな歩いて帰る。私はこの日が北京最終日翌日の朝飛行機に乗る。いつ終わるのか心配だった。楊さんに国道まで送ってもらい、そこでタクシーを拾い、ホテルに帰った。楊さんには随分お世話になった。楊さんは今回演ると思っていたバンドが出ず、今回はあまりよくなかったと言った。しかし、私は北京のパンクロックの熱気に圧倒された。北京にパンクロックがブームだと聞いて3年、ついに目の当たりにできたのも加え、ものすごく満足できた。
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