■私たちは、特別なのか、
■■ありふれているのか?


●宇宙観の変遷
●「人間だけじゃ、広い宇宙がもったいないわ!」
●聖書の神を信じる宇宙飛行士たち
●聖書はビッグバンを語っているか?
●DNAに書き込まれたETIからのメッセージ?
●「ミッション・トゥ・マーズ(Mission to Mars)」
●火星の地球化計画、「テラフォーミング」
●「ミッション・トゥ・アース(Mission to Earth)」はあったのか?


  
「地球がこの宇宙で生命が存在する唯一の惑星だと信じる
   合理的な根拠はない。」(F・D・ドレーク)
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●宇宙観の変遷
 人類の歴史は、そのまま宇宙観の拡がりの変遷でもありました。

 最初人々は、自分たちが宇宙の中心に位置すると考えていました。古代バビロニアでは、人々は自分たちが世界の中心であり、世界の淵には高い山がそびえ立って世界を取り巻き、その上に天空が世界を覆い被さっていると考えていました。古代ギリシアの哲学者アリストテレス(紀元前384−322)は、創造主たる神が太陽、月、惑星を八つの水晶球に固定し、それらが地球を中心に同心円状に完全な円軌道を描いているという宇宙観を主張し、それは2世紀のギリシアの天文学者プトレマイオスによって体系的に確立され、中世に至るまで広く信じられてきたまし。

 16世紀になると、ポーランドの天文学者コペルニクス(1473−1543)が、地球を中心に太陽が回っているのではなく、地球は他の惑星と一緒に太陽を中心としてその周りを回っているという太陽中心説(地動説)を唱えました。

 同時に宇宙の観測の歴史は、1609年にガリレオ・ガリレイ(1564−1642)が、対物凸レンズと接眼凹レンズを組み合わせた望遠鏡を自作して夜空を見上げて以来、急速に観測できる範囲が広くなり、20世紀に入ると、私たちが位置する太陽系は、10万光年の直径を持つ銀河系の端の方に位置する、ごくありふれた存在であり、宇宙は100億光年以上の拡がりをもつと言われるようになりました。私たちは宇宙の中心に位置しているわけでもなければ、地球を中心に他の天体が動いているわけでもなかったのです。




<宇宙観の広がりと人類が踏破した世界の変遷>
(『計測と制御』計測自動制御学会誌vol.37,12参照)
 
 
一方、天文学だけでなく、生物学上のさまざまな発見も、私たちが特別な存在ではないことを示してきました。その役割に最も寄与したと言われているのが、チャールズ・ダーウィン(1809−1882)です。

 それまでのキリスト教世界の人々は、自分たちは、聖書の教えにあるように、唯一無二の神に似せて創られた、この世界の中でも特別な存在であると信じて疑いませんでしたが、ダーウィンは、あらゆる生物が放つ神秘性が、神の計画や導きによって与えられたものではなく、全く無計画な自然作用がもたらした進化によって得られるという考えを示したのです。

 そして、地質学者たちは、人間が地球に誕生したのは、地球ができてから今までの時間の中の、ほんの瞬き程度の一瞬にしかすぎないことを示しました。さらに、第二次世界大戦後直後に生物学者が発見したところによれば、私たちは、バクテリアやハエと全く同じ化学物質からできており、自分たちの身体をつくり出すために命令する暗号は、それらの生物と大した違いがないことも明らかになってきました。

 つまり、私たちの周りの二つの世界−マクロの世界とミクロの世界−を探求する天文学と生物学は、私たちは、聖書に記されたような、神に創られた特別な存在などではなく、広大無辺な宇宙の中に存在する、至極ありふれた恒星の周りを回っている惑星に、あらゆる動植物と同じように膨大な時間をかけて出来上がった偶然の産物であり、宇宙の中でも全く特別な存在ではないことを示したのです。

●「人間だけじゃ、広い宇宙がもったいないわ!」
 しかし、それでもなお私たちは、「もしかしたら、自分たちはこの宇宙の中でも特別な存在であり、宇宙の中心的な位置を占めているのではないだろうか」と、心のどこかで思っているふしがあります。

 そう思う背景には、私たちが他の惑星に住む知的生命と出会ったことが一度もないという「事実」が存在しているからに他なりません。

 自分たちが住んでいる世界の外に、自分たちと同じような生命が存在しているのではないかと思うのは、古今東西を通じて共通しており、この問題は昔から多くの人たちによって繰り返し繰り返し考えられてました。宇宙に思いを寄せる時、いつの時代でも、人は常に、「宇宙には自分たちしか存在しないのだろうか」と問いかけてきたのです。

 古代ギリシアの数学者ピタゴラス(紀元前572−492)は、宇宙には地球と同じような世界があり、そこにはそれぞれに住人がおり、月には地球よりも優れた生物が住んでいると考えていました。また、原子の概念を生み出したデモクリトス(紀元前460−370)やギリシアの哲学者エピクロス(紀元前341−270)も、地球以外の惑星に、自分たちと同じような生命体が存在していると考えていました。その筆頭となった惑星が火星であり、昔から多くの人たちが、火星に生命の存在を期待し続け、NASAも火星に探査機を次々に送り続けて、生命存在の可能性を調査してきました。

 近年は、こうした火星探査以外にも、電波を使って他の惑星の知的文明からの信号を受信して地球外知的生命を探そうとするSETI(Search for Extra Terrestral Intelligence:地球外知性探査)のような大きなプロジェクトが進行していますが、もちろんそれらは、古代ギリシアの哲学者たちが考えていたような単なる憶測ではなく、より広範囲で精密な観測と実証に基づいたものです。

 SETI
は当然ながら、この宇宙には地球人以外にも知的生命体がいるはずだという前提のもとに、膨大な資金を投入してETI(地球外知的生命)探しを行っているわけですが、その一方で地球外文明探査については、とても根強い反対意見が存在します。

 それは、「もし地球の他に知的文明が存在するならば、なぜ彼らは地球にやってきていないのか」という根本的な問題です。この問題は、これまで地球に知的生命体がやってきた痕跡など存在しないという指摘から始まり、地球はこの銀河系内に初めて誕生した文明、または地球以外には文明は存在し得ないという結論に達します。

 確かにSETIは、開始してから既に30年以上経った今でも、地球外知的生命からの電波を受信したことは一度もありません。たった一度でも知的文明からの電波が受信できれば、それは地球以外の惑星に知的文明が存在していることを示し、人類に与える衝撃は計り知れないものがあると予想されますが、今のところ、そのような気配は全く感じられません

 そのため、1994年に、SETIに対する予算は連邦予算から外されてしまいました。それ以降、SETIは民間からの寄付に支えられながら、プエルトリコにある大型電波望遠鏡を使用して、200万チャンネルの電波周波数帯で信号を常時探査しているのす。

 ETIなど存在しないと主張する人たちとSETI推進派との間には、今でもETI存在の是非を巡って激しい論争が続いているようですが、地球上に地球外の知的生命体の姿が見あたらないことを最初に論じたのは、イタリア出身のアメリカのノーベル賞受賞(1938年)物理学者、エリンコ・フェルミ(1901−1954)でした。

 彼は、1942年から、いわゆるマンハッタン計画に参加していましたが、この時期にフェルミは、地球外知的生命ついて考えるようになりました。

 彼によると、銀河系内の惑星はありふれた存在であり、その中で生命が発生して、それが知性体へと進化して技術文明を持つことはまれなことではないはずです。当然、そうした文明の中には、私たちよりもはるかに古くから知的文明を営み、高度に発展している文明もあるに違いありません。それならば、彼らは当然、地球にやってきても良いはずです。しかし、そのような形跡があったことや兆候はまるで見られない。いったい彼らはどこにいるというのだ・・という基本的な疑問に突き当たり、これは「フェルミのパラドックス」と言われています。

 その後、1974年12月に、当時米国立大気研究所に所属していた天文学者マイケル・ハート、「地球上における地球外生命不在の一解釈(An Explanation for the Absence of Extraterrestrials on Earth)」という論文を提出し、「銀河系には我々以外には文明は存在しないため、電波で地球外文明を探そうとする試みは時間と金の無駄遣いである」と論じました。彼が言う「我々はいかなる形であれ、来訪者の姿や痕跡を見出していない」という「事実」を、ファクトAと呼び、その後このファクトAを巡って一大議論が巻き上がったのです。

 しかし、ハートがこの論争の前提とした「銀河系には我々以外には文明は存在しない」というのは明らかに間違いであり、正確に言えば、文明が存在しないではなく、「確認されていない」とするべきでしょう。

 このファクトAに対して、高名なアメリカの惑星科学研究者カール・セーガン(1934−1996)たちは、この銀河系内には我々よりも先行している文明は確実に存在しており、当然彼らは我々の存在にも気がついているが、これらの高度な文明を持つ惑星同士は、お互いになにがしかの行動規範を設けており、地球文明のようなまだ技術的に未熟で原始的な文明に対しては、決して干渉することなく、その文明が自力で他の文明に気がつくまではコンタクトをとらないという手段を採っている可能性が高いと述べています。

 この考えをベースに、ハーバード大学のジョン・ボールは、1973年に「動物園仮説」という、いささかショッキングなタイトルの論文を発表し、銀河系の高度な文明にとって、地球は動物園あるいは自然保護区のようなものであり、彼らは、原始的で野蛮な地球人に自分たちの存在を知られることを望んでおらず、どこかから我々を観察しているという見解を示しました。

 この考え方は、一見馬鹿げているように思えるかも知れませんが、私は、この考え方が、地球外知的生命が存在したとしても、彼らが我々の前に姿を現さない理由として最も的を得ていると思います。

 この考え方に立つならば、次の疑問が出てくるはずです。

「一体彼らは、我々がどの段階にまで進めば、私たちの前に現れようとするのか?」

 
さて地球では、この半世紀にテレビやラジオが大きく普及し、大量の電波が放射されていますが、電波は光速で宇宙空間を伝わるため、地球から約50光年離れた星にまで既に電磁波は届いていると見積もられます。同じように、どこかの惑星に知的生命体が存在していれば、彼らも電波を使っている可能性があります。

 しかし、1978年に宇宙物理学者のポール・ホロビッツが、太陽系から半径80光年の範囲に存在する約200個以下の星系を詳細に観察しましたが、地球外の知的文明が放射していると思われる電磁波は全く観察されませんでした。その後、別の宇宙物理学者たちがもっと多くの星系について調査しましたが、同じ結果しか得ることができませんでした。

 しかし、私たちの銀河系には2000億個にものぼる恒星が存在していると言われ、その内の約10%が私たちの太陽と似たタイプの恒星であるとされています。仮にその中の約1%が惑星を持ち、さらにその内の1%が地球とよく似た環境を持つとすると、銀河系の中には200万個の地球型惑星が存在することになり、さらにその中の1%程度の惑星にしか知的文明が営まれていないとしても、それでもなお、私たちの銀河系の中には、実に2万にも及ぶ知的文明が存在すると見積もることができます。こうした単純で無邪気とも思える試算によると、宇宙には、私たちの他にも無数の知的文明が存在することも期待できそうなのです。

 その期待に応えるかのように、1995年にスイス・ジュネーブ天文台のメイヨールケロズが、ペガスス座51番星の周りに惑星を発見したと発表し、その後サンフランシスコ州立大学のマーシーが追試し、その存在を確認しています。これによって、太陽系外にも惑星が存在することが明らかとなったのです。

 これを受けて、1996年2月5号の『TIME』誌の表紙には、大きく「IS ANYBODY OUT THERE?」(誰かそこにいるのですか?)という言葉が飾られることとなりました。その後、太陽系外の惑星は次々と発見され、これまでに80個以上の太陽系外惑星が発見されています。おそらく、これからもっと多くの惑星が発見されるに違いありません。

 ここ数年の間に立て続けに太陽系外の惑星が発見されたために、科学者たちも、「もしかすると、この銀河系内には想像以上に多くの惑星が存在し、その中には地球のような惑星も存在するのではないかと」いう認識を持つようになってきているようです。

 2001年7月11日には、NASAが、地球から約500光年離れた太陽系外にあるCWレオニスと呼ばれる巨星の近くで、予想の1万倍もの水蒸気を観測したと発表しましたが、このことはこの付近でかつて生命が存在していた可能性があることを示しています。

 また、その翌日の12日に行われた米下院の宇宙科学に関する小委員会の公聴会では、共和党のラマー・スミス議員が、SETIに対する信頼度がここ数年で向上していると述べ、同席した4人の科学者たちも、「ここ数年の太陽系外惑星の相次ぐ発見や地球上での様々な発見によって、ETIの存在の可能性が高まっている」と証言しています。

 こうした太陽系外の惑星の発見が相次ぐ中、かつてベストセラーとなったカール・セーガン原作の『コンタクト』が数年前に映画化されましたが、その中でアメリカの女優ジョディ・フォスター(1962−)扮する電波天文学者エリーが、宇宙を見上げながら次のように叫んでいます。

「人間だけじゃ、広い宇宙がもったいないわ!」


<『コンタクト』>

●聖書の神を信じる宇宙飛行士たち

 
映画『コンタクト』は、人類が地球外知的生命が存在することを知った時、私たちが持つ宗教や哲学、人間観にどのような影響を与えるのかを問いかけた映画です。

 古くから人々は、宇宙を考える時、常に哲学と宗教を必要としてきました。前述のように、人類の歴史は宇宙観の歴史でもありましたが、宇宙を知るための知識を補完するために、人類は神をつくり出しました。いつの時代にも、人類は常に、自分たちが立っている地面から見上げた「天空」を通じて、神の存在を宇宙に求めて続けてきました。そして、宇宙と自分たちとの関わり合いの探求は、必然的に自分たちの存在そのものへの問いかけとなってきたのです。

 神との関わり合い方は、国や民族、社会体制などによっても千差万別ですが、私たち日本人は、過半数が無信仰(だと自分で思っている人たち)で、信仰を持っていると認めている人の割合は、全体の約3割程度ほどにしか過ぎません。しかし、アメリカ人は、実に93%が信仰を持っているという調査結果があります(『データブック現代日本人の宗教』新曜社)。


<神の存在に対する意識調査>
(『データブック現代日本人の宗教』新曜社のデータをベースに作成)

 1985年の日米欧価値観調査によれば、「この世には唯一の神が存在する」と回答した割合が、日本ではわずか5%程度であるのに対し、アメリカでは66%にも達します。この唯一の神とは、もちろんキリスト教の神を指しますが、唯一の神とまではいかなくても、「なんらかの神または人を動かす見えない力」の存在までも認める人は、日本が34%であるのに対し、アメリカでは実に91%も存在します。このように、日本人の信仰心は、神の存在を積極的に認めるアメリカ人の信仰心と全く異なることが分かります。

 そんな私たち日本人は、神が自分たちの頭上に座して、人々を見守り続けている物理的な存在だと「本気で」信じることはあまりないはずです。しかし、宗教意識の高いアメリカでは、日本と少し事情が異なるようです。

 1961年、旧ソ連のユーリ・ガガーリン(1934−1968)は、私たちが知りうる限り、人類で初めて地球の外に飛び出した人物です。その時のガガーリンが語った「地球は青かった」という言葉はあまりにも有名ですが、実は、ガガーリンは、アメリカ人にとって忘れられない他の言葉も述べているのです。


「天には神はいなかった。あたりを一所懸命ぐるぐる見渡してみたが、やはり神は見あたらなかった。」

 ガガーリンのこの言葉は、キリスト教国アメリカを震撼させました。なぜならば、「天にまします」神を信じるアメリカ人にとって、この言葉は神への冒涜であり、無神論文化のキリスト教文化に対する優位性を示す挑発的な言葉と受け止められたからです(『宇宙からの帰還』中央公論社)。

 一方、アメリカの宇宙飛行士の中には、宇宙飛行を経験した時に「神の臨在」を感じた人たちが多く存在します。宇宙飛行士と言えども、その時代のその国の文化の影響を受けて育ってきた人たちであり、その一部は無神論者でしたが、彼らの多くはキリスト教徒でした。アポロ7号に搭乗したウォルター・カニンガムは、「アメリカの大衆は、キリスト教への深い信仰心を持っていない宇宙飛行士を空に打ち上げるのにはいい顔をしない」と述べています(もっとも、カニンガム自身は不可知論者でしたが)。

 『コンタクト』の中でも、神に対するアメリカ国民の信仰心がいかに深いかを窺い知ることができます。

 映画の中で、地球外知的生命から送られてきた信号を解読して作られた特殊容器の乗員を決めるため、主人公の電波天文学者エリー(ジョディ・フォスター)が審査される場面があります。その会議で、恋人の宗教学者パーマーに「あなたは神を信じるか?」と聞かれたエリーは、「私は科学者として、実証されないものは信じない」と答えたのですが、彼女のその発言に対して、審査員たちは「地球上の人間の95%が神を信じている現在、あなたを地球の代表として選ぶことはできない」と結論を下したのです。

 その後、政府の科学顧問を勤めていたエリーの師は、アメリカ国民に対して、「我々人類には、長い年月をかけて大切に守り育んできた貴重な財産がある。それは神の御心であり恵みである。その神を最終的に裏切るような無神論者を我々の代表として宇宙に送るわけにはいかない」と説明するのです。このあたりが、世界をリードする最先端の技術をいくつも持ちながらも、今なお過去の遺物でしかないキリスト教を信仰するキリスト教国家アメリカの姿を感じるのです。

●聖書はビッグバンを語っているか?
 その大半のアメリカ国民の信仰の対象となっているキリスト教の教典である聖書の中には、周知のように、神が人間を創造したことが明確に書かれています。

 「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。』(『創世記』1・26−27)

 
ここでは、神が「自分たち」−複数形であることに注意!−に似せて地球人を創造したと書かれています。

 この聖書の神を信仰している人々は、キリスト教以外にも、主にイスラムユダヤ教がありますが、これらの三つの宗教の信者たちをあわせると、世界中で総人口の半分弱にも相当します。彼らに共通することは、旧約聖書−新訳聖書はキリスト教のみの教典−を各々の宗教の源泉としている点です。つまり、世界総人口の約半数の人々は、旧約聖書に登場する神を信じていることになるのです。

 イスラムがユダヤ教の旧約聖書を彼らの源泉としていることに意外な印象を持たれるかも知れませんが、イスラムの教典『コーラン』(正確には『クル・アーン』で、「読誦されるもの」、「読誦」の意味)第10章第37節に、「このコーランは神をさしおいて捏造されるようなものでなく、それ以前に下されたもの(旧約聖書と新約聖書)を確証するものであり・・・」と記されているように、『コーラン』がユダヤ、キリスト教の流れをくむものである事は明白です。従って、ユダヤ教、キリスト教、イスラムは、兄弟のような関係にあり、全ては旧約聖書に端を発しているのです。

 その彼ら−ユダヤ・キリスト教徒、イスラム教徒−が信仰する聖書の神は、目に見えない「霊的な存在」であり、自分以外の全ての存在を創造した「唯一の創造者」でもあります。その神が登場する最も有名な言葉が、旧約聖書の最初の文書−旧約聖書は39の文書から構成されている−である『創世記』の次の言葉です。

「初めに、神は天地を創造された」(『創世記』1・1)
 
 この言葉は、神が宇宙−空間(宇)と時間(宙)−を創造したと解釈されています。そして、この聖書の言葉は、科学の発展とともに、現代宇宙論としばしば結びつけられることがあります。

 現在概ね受け入れられている標準的な宇宙理論によると、宇宙は今から150億年から200億年前に超高温超高圧の小さな球が爆発し、急速に膨張することによって形成されたことになっています。そして、この理論によると、今も宇宙は急速な勢いで膨張を続けていることになっていますが、これはビッグバン理論と言われるもので、この理論の信奉者たちの中には、ビッグバン理論を旧約聖書の『創世記』に記された上の言葉と関係づける人もいます。

 また、逆に宗教界では、法王ピウス12世(在位1939−1958)が1951年の最高神学者会議で、ビッグバンは神の存在を証明するものだとして、次のように述べています。

「現代科学は100億年もの時間を一気にさかのぼり、光と放射の海が物質とともに無からわき起こった瞬間、神が口にされた『光りあれ』を目の当たりにすることに成功したようです。・・・このように、創造は時間の中で起こったのであり、それゆえ創造者、つまり神は存在するのです。」

 しかし、ビッグバンのような宇宙の始まりを聖書の神と結びつけてとらえることは、甚だしい勘違いなのです。こうした根本的な間違いは、「神」という言葉を明確にしないままに、自分に都合のよい勝手な解釈ばかりを講じるために生じるのです。

 私は、過去2000年近くに亘り、神学者たちがこぞって聖書をつぶさに調査してきたにもかかわらず、なぜ未だに「神」を明確に定義できないのかが不思議でなりません。聖書の解釈を神学者たちや宗教家に任せていると、真相はいつまで経っても永久に何も解明できないのではないかとさえ感じています。

 聖書のこの言葉の意味については、また後で触れることにします。

●DNAに書き込まれたETIからのメッセージ?
 『コンタクト』に登場するエリーのように、地球外知的生命を探求する研究者たちは、SETI開始以来もっぱら電波を使っています。その大きな理由としては、私たちが電波以外に宇宙空間を横切る通信媒体を持っていないためですが、電波を使った探査は、これまでのところ何ら成果をあげていません。

 しかし、地球外知的生命とのコンタクトを単に電波のみに限ってしまうのも考えものです。電波を使ったSETIの探査に成果が見られないからと言って、宇宙には地球以外に知的生命が存在しないと結論づけるのではなく、むしろ、地球外知的生命が電波ではなくて他の媒体を利用して、自分たちが存在していることを地球人に伝えているということは考えられないでしょうか。

 杏林大学の横尾広光氏たちは、現在行われている電波による交信以外の方法として、ウイルスのDNA配列にメッセージを託して地球外知的生命と交信すると提案しています。

 周知のように、地球上の生物は細胞内にDNA(デオキシリボ核酸)を保有していますが、そのDNAには無数の遺伝情報が「書き込まれて」おり、その情報は、自己複製しながら親から子へと代々引き継がれていきます。DNAのこの性質を利用して、自己複製能力を持つDNAに独自のメッセージを組み込み、宇宙に放つのです。そのDNAがどこか適当な条件の惑星に漂流し、そこで自己複製を繰り返して行えば、その惑星全体にメッセージが広がるはずです。そして、その惑星にもし知性体が存在すれば、そのメッセージに気がつくはずだというシナリオです。

 横尾氏は、遺伝情報が書き込まれているDNAに独自のメッセージを組み込んで他の惑星に送り込もうとするこの方法は、裏を返せば、他の惑星に住む知的生命体からのメッセージが、地球に既に届いている事を示唆すると述べています。横尾氏は、もしそうであれば、DNAにメッセージを刻んだ知的生命体は、地球の生物と同様にDNAを遺伝情報としているはずだと述べていますが(『最新地球外生命論』最新科学論シリーズ21 学研)、これはとても示唆に富んだ言葉だと思います。

 
DNAの中にメッセージが「書き込まれている」ことについては、高血圧の黒幕とされるレニンという、腎臓から分泌される酵素の遺伝暗号解読で、世界的な業績をあげた筑波大学名誉教授(現国際科学振興財団専務理事、茨城県工業技術センター長)の村上和雄氏が、DNAに遺伝情報を書き込んだ何者かを「サムシング・グレート(偉大なる何か)」と呼び、このサムシング・グレートが地球上の全生物の「生命の親」であると唱えていることと深い関連があるはずです。

 村上氏は、遺伝暗号を解読しながら、あるとても重大なことに気がついたと述懐しています。

「現在自分たちは、地球上の生物のDNAに刻まれた遺伝情報を解読することができるが、解読できるということは、その情報を『意志』を持って書き込んだ何者かが存在する事を暗示している。」

 なぜならば、でたらめに書き込まれると、それは「情報」とはなり得ないからです。遺伝暗号というのは、あくまでも情報であり、その情報をもとに一つ一つの個体が出来上がるわけです。これがでたらめに書き込まれていては、一つのまとまった個体など出来上がるわけがありません。

 村上教授は、この遺伝情報を「意志」を持って書き込んだ何者かを「サムシング・グレート(偉大なる何か)」と呼んでいます。ヒトゲノムを代表とする、地球上のあらゆる動物に固有なゲノムは、あたかも誰かに書き込まれたかのようですが、もちろん、自分たちの親が自分のゲノムを書き込んだのではありません。親は生殖によって遺伝暗号を利用することはできても、暗号を書き込むことはできません。

 しかし、遺伝暗号は親から受け継いだことは間違いありません。ならば、親の親、またその親・・・というふうに歴史をどんどん遡っていくと、遺伝暗号を書き込んだ「何者か」に突き当たるわけで、その行き着く先の「生命の親」が、すなわちサムシング・グレートなのです。村上教授自身は、このサムシング・グレートは天理教の親神様なのだと、やや漠然とした言葉でしか表現していませんが、横尾氏が指摘しているように、DNAを用いて地球上の生命を創造したサムシング・グレートも、やはりDNAを持つ知的生命体なのではないかと考えることができるでしょう。

 私は、地球上の生物のDNAにメッセージが刻まれているというこれらの考え方に、大いに興味を持っています。SETIは電波によって地球外文明からのメッセージを受け取ろうとしていますが、彼らは、電波ではなくDNAの中にメッセージを残しているのではないでしょうか。

 メッセージとは、それが言葉による発話であっても、電磁波を利用した信号であっても、生物の体内で発生している無数の化学的信号であっても、あるいはDNAの中の化学物質の構成単位にしても、いかなる場合でも、相手に何かを伝えるためにあらゆる可能性の中から選ばれた「一連の言葉」であり、それはいかなる場合であっても、生物が活動を起こす際には、あらゆるレベルに応じてそのメッセージを取捨選択することによって効果を発揮することができます。そして、送り手から発せられたメッセージは、受け手が解読できて初めて意味を持つはずです。

 それならば、DNAにメッセージを「書き込んだ」サムシング・グレートは、人類が生物学をある一定のレベルにまで到達させないと、そのメッセージを知ることができないことを予測していたと考えることができるのではないでしょうか。

 ここに、私たちの議論の最大のポイントがあります。

 つまり、聖書に登場する神、すなわち私たちを自分たちに似せて創造したと伝えられている神とは、実は和たちと同じDNAを持つ地球外知的生命(ETI、異星人)をさしており、人間を含む地球上のあらゆる生物は、彼らによって創造された可能性があるのではないかという命題が浮かび上がってくるのです。

 つまり、村上氏が唱えるDNAにメッセージを書き込んだサムシング・グレートこそは、聖書の神=ETIなのではないでしょうか。そして、そのサムシング・グレートは、自分たちがDNAに書き込んだメッセージが、ある時期に人類に解読されることを予測していたのではないかと思われるのです。そして、その時期こそが、まさしくヒト・ゲノムが解読された今なのではないでしょうか。

●「ミッション・トゥ・マーズ(Mission to Mars)」
 『コンタクト』は天文学的な要素を含んだSF映画でしたが、さらにそれに生物学的な要素を取り入れたSF映画が、2000年5月下旬に日本全国で封切られました。この『ミッション・トゥ・マーズ(Mission to Mars)』(ブライアン・デ・パルマ監督)という映画は、アメリカでも大成功の興業成績を収めましたが、この映画の舞台は、西暦2020年の火星。

 この年に、人類はついに火星への有人飛行を実現しました。マーズ1号に乗った4人の宇宙飛行士たちは、無事火星到着を果たし、ミッションに従って順調に探索調査を続け、火星の地質に水の成分を発見しましたが、ある日のこと、シドニア大平原で、自然に形成されたとは思えないある台形の巨大な構造物を発見しました。その構造物を観測しようとした時、宇宙飛行士たちにある悲劇が襲いました。ルークを除く三人はみんな死んでしまい、生き残ったルークも、命辛々着陸船に辿り着き、パニックに陥りながらもその緊急事態をNASAに報告しますが、その後交信が途絶えてしまったのです。

 ルークを救い出すとともに事態の真相を究明するために、NASAは急遽、新たにジムを始めとする4人から成る救出ミッションを組みました。その救出ミッションに選ばれた4人は、火星着陸を目前にして様々な壮絶な事故を乗り越えながら、ミッション・コマンダーのウッディを失ったものの、残りの3人は何とか火星に着陸し、奇跡的に火星で一人で生き抜いていたルークと一年ぶりに再会を果たします。

 火星で、ルークが一人きりで1年も生き抜いていたこと自体に驚いた3人でしたが、ルークから聞き出した情報は、もっとはるかに彼らを驚かせることとなりました。その情報とは、地球人以外の知性体、すなわち火星人の存在を示唆するものだったのです。しかも、火星人と地球人との間には驚くべきつながりがあったのです・・・。

 折しもこの映画の上映期間中の2000年6月22日、NASAは、火星を周回する人工衛星マーズ・グローバル・サーベイヤーが撮影した約150枚の火星表面の写真から、火星表面にごく最近、水が流れたことを示す水路や、堆積物が三角州のようにたまった地形を撮影することに成功したと発表しました。火星に氷が存在することは確かめられていますが、気温が低く大気が非常に薄いため、これまでは地表付近には液体の水は存在しないと考えられていたのです。

 また、火星での生物の存在の可能性は、これまでのところ、まだ十分には認められていませんが、もし水が表層で見つかれば、NASAは「生命存在の条件がそろう」と述べているように、生命存在の可能性すら考えられることになります。


 この地球の隣の惑星である「赤い惑星」・火星は、昔から、太陽系の中で地球以外に知的生命体が存在する可能性が最も大きな惑星として、多くの人々が繰り返し、火星の中に知的生命体の証拠を求めようとしてきました。これまでにも、アメリカの天文学者パーシバル・ローウェル(1855−1916の「運河」騒ぎや、SF作家のH・G・ウェルズ(1823−1913)原作の『宇宙戦争』ラジオドラマ事件(1938年10月30日)など、人々はいつも火星に生命の存在を期待してきました

 しかし、1965年7月に、アメリカが打ち上げた火星探査機マリーナ4号が火星近傍を通過した時に写した21枚の火星表面の写真は、月面のようなクレーターに覆われた、生命の気配をまるで感じさせない乾ききった世界を映し出していたのです。またその翌年には、バイキング1号と2号が火星に着陸して、生命の存在につながる化学物質をいろいろと調査しましたが、生命の存在の可能性を示唆する結果はついに出ずに終わってしまっています。

 しかし、その約20年後の夏には、NASAジョンソン宇宙センターとスタンフォード大学のチームが、1700万年前に火星から飛び散り、今から約1万1000年前に南極大陸に落下したとされる隕石の中に、生命体の存在を示す化石を発見したと発表し、世界をあっと驚かせました。1984年に発見されたこの隕石は、ALH−84001と名付けられ、その後、その中に生命の痕跡がないかどうか調査されてきましたが、NASAジョンソン宇宙センターの研究チームが、いくつかの根拠を挙げて、この隕石の中に生命の痕跡らしきものを発見したと発表したのです。


 しかし、生命体の存在自体がはっきりと実証されたわけではなく、今でも火星での生命体の存在を巡っては、賛否両論派の間で活発な議論が続けられています。

 火星における生命体の存在の是非を巡っては、このように古くから繰り返し議論が飛び出しており、そうした中で昨年公開された『ミッション・トゥ・マーズ』は、NASAの全面的な協力の下で作製されたそうですが、この映画がフィクションであることには変わりありません。

 しかし、実は『ミッション・トゥ・マーズ』のような壮大な火星移住計画が、現実レベルで着実に進められていたのです
 

●火星の地球化計画、「テラフォーミング」
 今、私たちは、火星に無人探査機を送って、火星の環境や地質、そして生命存在の可能性について調べていますが、ゆくゆくは火星環境を地球のように変えてしまおうという壮大な研究が、現在NASAを中心に進められています。多くの人々は、一つの惑星の環境を地球化してしまうなどというこうした考えを、全くの夢物語や絵空事か、あるいは技術的には可能でも、はるか遠い将来にどうにか技術的に可能になるだろうぐらいにしか感じていないかも知れませんが、技術的には決して不可能なわけではないのです。わずか数十年前の人々にとっては、月面に人間が降り立つなど全くのSF小説でしかなかったことを思い起こすべきです。

 ある惑星を地球のような水と空気と温暖な気候を持った環境に改造することを「テラフォーミング」といいますがと言うが、この言葉は、SF雑誌の中に1942年7月号から掲載された、アメリカのSF作家ジャック・ウィリアムスン『シーティー・シップ』という作品の中に初めて登場する。

 この考え自体は、1961年にカール・セーガン『Nature』と並んで世界的権威のあるアメリカの科学雑誌『Science』に、金星のテラフォーミグについて論文を掲載して、科学の対象として初めて論じられたのが最初です。それ以降、テラフォーミングに関する学術的なアプローチは、年々積極的に行われるようになり、調査の結果、金星の環境はセーガンが推定したものとはあまりにも違っていることが明らかになりましたが、火星は、金星に比べて生命を存続させる可能性があることが分かり、それ以降はもっぱら火星がテラフォーミングの対象となっています。

 火星のテラフォーミングを行う目的としては、大きく分けて二つあります。

 一つは、火星での探査を通じて、地球外生命の存在や生命の起源、惑星の歴史など、地球にいるだけでは知ることのできない情報を得ることです。

 今まで私たちは、地球という限られた土俵においてでしか自分たちを見つめることができなませんでしたが、火星に地球と同じ環境を作って居住することにより、自分たちのアイデンティティを改めて考え直す機会が生まれるようになります。 海外に留学したり移住した時、日本文化や日本の歴史、日本のアイデンティなどを、日本国内に留まっていた時とは違った、より広い視野で見ることができるという話をよく聞きますが、テラフォーミングには、外国ではなく他の惑星に立って地球と人類を再発見するという意義が存在します。

 もう一つの目的は、今の地球文明は、人口問題、環境破壊、地球温暖化にエネルギー枯渇問題、オゾン層破壊など、地球規模のあらゆる深刻な問題を抱え込み、地球そのものがパンクする危険性を孕んでいるため、火星を地球化して、そこで新しい経済圏を築こうというものです。

 火星の大気は、地球に比べて100分の1ほども薄く、しかも殆どが二酸化炭素からなり、また平均気温も約マイナス40度と極めて低く、宇宙服や気密性のあるシェルターなしでは、人間は一瞬たりとも生きていくことはできません。しかしそれでも、火星は、この太陽系では、地球以外で人間が居住可能な唯一の惑星であり、生存するには環境は厳しいものの、金星や木星など他の惑星と比べると著しく温和な環境を保っています。
 
 火星を地球化するプロセスは、概ね次のように進められていきます。まず最初に無人探査機を火星に送り込み、火星の詳細な地形や大気、地質、気候などを調べるます。これは現在既に行われています。

 また同時に、生命の存在の可能性についても調べていきます。その後、今度は火星までの有人飛行を行い、火星でのより詳細な調査が行われますが、その時には宇宙ステーションも完成し、地球と火星の往復ではなく、地球と宇宙ステーション、宇宙ステーションと火星をつなぐ飛行システムが利用されることになります。これらはおよそ2100年頃までに行われる予定です。

 ここまでは火星の調査が主に行われますが、次のステップとして、本格的な火星居住のための基地の建設が始まります。まず当初は、ごく少数の人間たちが火星に赴き、閉鎖系の居住空間に定住しながら基地の建設を行い、次第に火星で居住する人間を増やしていきます。そして、2200年頃からいよいよ火星の大改造が行われるようになります。

 まず最初に、火星の極冠や地中に豊富に存在するドライアイスを溶かして、これを大気中に放出させれば、二酸化炭素による温室効果で、大気温度と大気圧を上昇させることができます。また、この時に微生物や藻類を用いれば、これらは二酸化炭素を酸素に変えるため、大気中の酸素の割合も徐々に増えていきます・・・。

 こうして約1000年後には、火星の環境は地球化しているというシナリオです。もちろん、この一大シナリオを無事成功裡におさめるためには、幾多もの技術的難関をクリアしなくてはならないのは確かですが、これらは技術的に不可能なのではなくて、今の技術では困難なだけであり、今後より科学技術が発展していけば、技術的な問題点も、次から次へとクリアされていくと見られているのです。

 こうして、いつの日か、私たちの遠い子孫が火星に移り住み、火星を第二の故郷とする日がやってくるに違いありません。

●「ミッション・トゥ・アース(Mission to Earth)」はあったのか?
 『ミッション・トゥ・マーズ』は、この実に壮大なテラ・フォーミング・プロジェクトを彷彿させてくれますが、この映画の最大の見どころは、なんと言っても最後の約20分に凝縮されていると言えるでしょう。

 悲劇に見舞われ、その惨状を訴えたのを最後に交信が途絶えたルークを救出するために、火星に向かったマーズ・リカヴァリー号の乗務員ジム、テリー、フィルの3人は、ルークと劇的な再会を果たしますが、再会の喜びに浸る間もなく、ルークは、火星滞在中に、シドニア大平原にそびえる幾何学的な構造物から発せられた信号を分析した驚くべき結果を、三人に見せたのです。

 コンピュータのディスプレイには、その信号の波が、20世紀後半の人々ならば誰もが知っているある形へと次第に変化していく様子が描かれていました。その形とは、まさしくDNAの二重らせんに他ならなかったのです。3人は、目を見開んばかりに驚きましたが、そのDNAは、最後の一対だけ染色体が欠けていました。実はそれは、その信号を送った何者か−シドニア大平原に幾何学的な構造物を建造した何者か−がジムたちに送ったテストだったのです。

 しばらくしてジムは、その信号がある知性体が仕掛けたテストであることに気がつき、大声で3人に叫びました。
「これは正しい答えを求めている。欠けている一対の染色体を僕らに入れろと言っているんだ!」
「しかし、どうして?」
「僕らが人間だということを確認するためだ!」


 ジムはコンピュータのディスプレイを指さしながら、言葉を続けます。
「これは、この銀河に存在するのは、僕らだけじゃないってことを示している!」

 そして、そのテストに無事合格したジムたちは、シドニア大平原の構造物に入ることを「何者か」に許され、一人を残して構造物の中に入って行きました。そこで彼らが出会った「何者か」は、見るからに優雅で柔和な、アーモンド形の眼をした一人の火星人でした。その火星人は、ジムたちに火星と地球に起こった過去の出来事を立体映像を使って見せたのです。

 その映像は、火星から飛び出して地球に向かった一機の宇宙船が海に落ち、そこからDNAを彷彿させる二重の鎖が現れ、それはやがて、魚から様々な生き物へと姿を変えていき、ついには人間へと姿を変えていく壮大な生物の歴史でした。

 つまり、その影像は、火星人と地球人の思いもかけないつながりを示していたのです。

「火星人が地球に生命の種をまいたのか!」
 ジムが驚きに満ちた声で叫びました。

 火星人が地球に最初期の生物を形成するためのDNAを海に蒔いた、その「生命の種」は、長い歴史の中で進化を経て、今のような多種多様な生命圏を形成したのでした。火星人が示した、人類の衝撃的な生命の起源を知り、ジムは二人の仲間に向かって叫びました。

「彼らは僕らと同じ種なんだ!!」

 この映画は、遥か昔に、火星人が地球上の全ての生命の発生のトリガーとなる生命物質を地球に送り込み、そこから地球上の全ての生物種が誕生し、我々は火星人と遺伝的につながっていること人々に伝えていたのでした。

そんなことはあり得るのでしょうか?

もちろん、この映画はフィクションであり、エンターテイメント的要素を盛り込んだ娯楽であることには違いありません。しかし、「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるように、現実は、この映画をはるかに越え、私たちが想像だにしなかった出来事が起こっていたと考えられるのです。

 地球はヘブライ語では「Eretz」ですが、この言葉の語源は「Erythrea」であり、その意味は「居留地」という意味です。

 一体なぜ地球にそのような意味がつけられたのでしょうか?
 そして、地球は一体「誰の」居留地だったと言うのでしょうか?


 もし、はるか昔に、地球外から知的生命体がやってきていれば、地球はその知的生命体にとっては「居留地」となり得ます。つまり、「ミッション・トゥ・マーズ」ならぬ「ミッション・トゥ・アースがはるか昔に起こっていたかも知れないのです。

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