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●フランスの反セクト運動
近年、西ヨーロッパでは、各国の政府が、新しく興った宗教を「セクト」と決めつけて、国民を守るという名目で、それらの活動を規制する法律が増えています。ヨーロッパでは、1994年に欧州安保協力機構(OSCE)に加盟する54カ国が、良心および信教の自由を守り、信徒と非信徒が互いに寛容になれる環境を促進し、過激な民族主義者の目的に宗教を利用させないと確約しました。
しかし、実際には、2003年7月に、人権のための国際ヘルシンキ連盟(IHF)によって発行された、『OSCEの抽出国における宗教的自由と寛容に関する問題』という報告書のなかでも明らかにされているように、ヨーロッパの多くの国では、宗教的自由と寛容に関する状態が悪化してきており、しかも、いわゆる「非伝統的」な宗教運動がますます非難を受け、抑圧されていたのです。つまり、「宗教の不寛容」です。
たとえば、フランスでは、1996年の下院による調査で、国内の172団体がセクトと断定され、その翌年には、ベルギーでも、政府の「セクト報告書」に189団体が掲載されました。またドイツでは、96年に『危険なセクト』という小冊子が地方政府から発行され、ギリシアやオーストリアにおいても、宗教的少数派への規制が増加しています。そして、これらのヨーロッパ諸国(ヨーロッパ連合加盟国)の中でセクト対策がもっとも進んでいるのが、他ならぬフランスです。
言うまでもなくフランスは、アメリカと並んで近代的人権宣言の母国です。そのフランスの憲法第一条には、「フランスは、出生、人種または宗教による差別なく、すべての市民に対して法律の前の平等を確保する。フランスはすべての信仰を尊重する」と明記されており、法的には、すべての宗教のあいだには、不平等は存在しないはずです。しかしながら、実際には、こんにちのフランスにおいては、宗教的少数派に属する人たちが、フランス国内の主流宗教−カトリック−と同じ宗教的自由の保障を享受していないことが指摘されています。
フランスは伝統的にカトリック国であり、国民の人口5800万人のうち、カトリック信者はその約70%にあたる4200万人いますが、その次に多いのが、実はムスリムなのです。彼らはフランス国内に500万人存在し、その大半はアルジェリアやモロッコなどの北アフリカからの移民たちです。それ以外は、プロテスタント80〜90万人、ユダヤ教70万人、東方正教20万人、仏教15五万人となっています。さらにこれら以外に、小宗教集団の信者数も、10万人から26万人程度存在します。この最後の宗教的少数派が、「セクト」と呼ばれている集団です。
一般的には、伝統的宗教や主流派宗教と異なる新宗教や宗教的少数派を「カルト」と呼ぶ場合が多いですが、フランスでは「カルト」ではなく「セクト」が用いられています。しかし、フランスの法律には「セクト」という語はなく、その意味も明確にされていません。
フランスのセクト問題に詳しい甲南大学の小泉洋一氏は、セクトの定義が多くの論者によって試みられているものの、広く認められるところまではいかず、セクトを定義づけることが実質上困難を極めていることを指摘した上で、これまで試みられたいくつかの定義を紹介しています(「フランスにおけるセクトと公法」『甲南法学』40.3-4,p.323-)。
たとえば、フランスの代表的な反セクト団体ADFI(家族と個人を守る会)は、セクトを「教義の教え込み、思想統制、心理的レイプ、個人、家族さらに社会の破壊をもたらすマインド・コントロールが、その内部で用いられる集団」と定義し、フランスのセクト対策関係省本部1999年報告には、「人権および社会的均衡を侵害する行為をおこない、宗教的目的を表明し、または表明しない、全体主義的機構を持つ団体」と定義されています。
しかしながら、これらの定義は、「分断する・切断する」という本来の意味の「セクト」からかけ離れているように感じられます。しかも、ADFIの定義にあるようなマインド・コントロールは、カリフォルニア大学バークレイ校心理学教授のマーガレット・シンガーが、朝鮮戦争で捕虜になった兵士の調査と研究から導いた「洗脳という事実」をカルト問題に適用して一躍世の中に広まったが概念ですが、現在では、そのような事実など認められないことが判明しています。すなわち、世間でよく言われるマインド・コントロールなど、存在しないのです。
こうした間違った事実に基づいた概念が「セクト」の定義に用いられており、さらに侮蔑的、屈辱的なニュアンスを含んで使われているにもかかわらず、マスメディアは言うに及ばず、学術論文や議会報告書や司法裁判所までもが、「セクト」を広く用いているのです。
こうした状況は、フランス国内での宗教的少数派に対する差別的な政策に負うところが大きいです。政府によって設置された専門委員会や議会報告書がその集団を「セクト」と断定すると、その宗教的少数派への敵意や憎しみが公に認められた形となり、さらに「正義の味方」を気取ったマスメディアからの一方的な報道が、その傾向を助長するのです。
人間は、自分とは「異質」で、さらにそれが「少数派」であるものに対しては、見下してもかまわないという優越感のような感覚を持つ傾向にあるようです。そのもっとも極端な例は、ユダヤ人のみならず、障害者や同性愛者たちを強制収容所に送ったナチス・ドイツに見てとることができます。それが今、フランス国内において、「セクト」に対して向けられているのです。ヨーロッパでは、1980年代から、セクトが引き起こす反社会的な活動が社会問題化していましたが、フランス国内で反セクト運動が活発になりだしのは、1990年代半ばに他国の宗教的少数派が引き起こした一連の出来事でした。
●新しいナショナリズムのスケープ・ゴートとしての「セクト」
1994年にスイスとカナダで起きた太陽寺院の集団自殺や、その翌年に日本で起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件に大いに震撼したフランスは、同年7月に、社会党のジャック・ギアールを中心とするセクト調査委員会を設置し、国内セクトの調査、対応の検討を開始しました。この委員会は、1996年1月に、130頁からなる『フランスのセクト』(ギアール報告書)と呼ばれる議会報告書を公表しましたが、その報告書には、日本ではカルトと見なされていない七つの団体を含む172ものセクト名が列挙されており、それらは犯罪者組織と同様に「危険で有害である」と断罪されています。
ギアール報告書は、公開直後から、セクト攻撃としか思えないような一方的な見方や、宗教的少数派に関する偏った情報しか収集していないために科学的な信頼性を欠いた内容であると、国内外の研究者たちから指摘されていましたが、そうした批判があるにもかかわらず、この報告書は、今でもセクトの危険性や反社会性をアピールする行政機関によって「反セクト」の世論形成に巧みに利用されています(『宗教の復権』中野毅著 東京堂出版)。
しかし、フランスではさらに、一部の「セクト」に対して厳しい財務調査や税制法正がおこなわれ、税制面でも締め付けが強化されたのです。「人権の国」であると豪語するフランスが、このようなおぞましい報告書を大胆にも提出したことは、寛容の手本となろうとしている国の恥として歴史に残るでしょう。
こうした反セクト運動の末に、フランスの国民会議は、2001年6月に、「反セクト法」(「人権および基本的自由を侵害するセクト的運動の防止および取り締まりを強化する2001年6月12日の法律」)を成立させ、セクトと指定された法人、またはその幹部が刑法に定める犯罪を繰り返し犯して有罪となったとき、その団体を簡単な行政手続きで解散させることができるようにしました。この法律の中にも、やはりセクトへの差別的態度が現れています。
こうしてフランスでは、国民の中に、セクトに対する警戒心や嫌悪感、忌避感情が深く浸透することとなったのです。中野氏は、フランスがおこなってきた一連のカルト対策は、現代版の「魔女狩り」であり、その中に、間接的ではあるにせよ、「宗教的なナショナリズム」を見て取ることができると述べています(「カルト/セクト論争と宗教的ナショナリズム」『ソシオロジカ』第25巻、2001年12月)。
すなわち、ナショナリズムは、「個々人の強い忠誠心が国民国家に帰せられるものであるとともに、それを脅かす敵対勢力を自国の外のみならず内部にも設定して、それらを排斥することによって社会内部を純化しようとする」(中野)が、こんにちのナショナリズムにとっての内部の敵対勢力こそが、正統とされる社会や文化を否定する宗教的少数派、すなわち「セクト」なのです。
硬直化した社会において、社会の不満を解消するために必要なスケープ・ゴートが、つまりは宗教的少数派だったのです。事実、フランス国内で「セクト」と断定された団体は、いずれもが正当派キリスト教会とは異なる新宗教であり、一連の反セクト運動を推進してきたのが、警察や公安当局、カトリック教会などでした。
従って、昨今のフランスなどに見られる反カルト運動の盛り上がりは、これらの社会内部の異分子を社会から排斥し、自分たちの文化、社会を純化しようとするナショナリズムの噴出なのです。為政者が国民を操作するためにわざと敵とつくりだすというのは、よく知られた話です。
こうしたフランスの反セクト運動の状況に対して、ヘルシンキ国際人権同盟は、1999年3月22日のヨーロッパ安全協力機構の会議への予備報告書のなかで、1996年から新興宗教に対して非寛容と差別的な態度をとり続け、新興宗教を危険なものとして制限する法案を採択するフランス政府の態度を公然と非難しました。
また、その年の5月には、アメリカ国務省が「新興少数派宗教に対するフランスの法的差別システム」について批判しています。同省は、2000年9月にも、フランスがいくつかの宗教を危険なカルトと呼んで非難し、1996年のギヤール報告書が、宗教的少数派への非寛容の雰囲気をつくり出していると指摘しています。
ひとたびセクトと見なされると、フランス国内では「魔女狩り」の被害に遭います。フランス国内では、彼らは、そのメンバーであるという理由だけで解雇されたり、子どもの養育権を失ったり、さまざまなひどい差別待遇を受けています。身体的な暴力さえ受けたケースも少なくありません。
フランスがこのような反セクト運動をおこなう背景として、70年代あたりから、多数のムスリムが周辺国からフランス国内に移民してきたことや、グローバル化の進展に伴ってフランス以外の異文化のなかで生まれた新宗教が、フランス国内で日に日に進展してきたことがあります。
フランス国民は、1798年の革命以降、国民国家体制を維持してきました。国民国家とは、その国家を構成する一人ひとりが既存の身分や所属を捨て去り、ただひとりの国民として属する体制を持つ国家のことです。さらに、フランスの国民がこれまで自国に対して抱いてきたものは、露骨なまでの国民国家としてのフランス中心主義、自国第一主義でした。フランス人が自国に対して自惚れとも思えるほどに誇り高い国民だということは、よく知られています。
ところが、その国民国家としてのフランスの存在意義が、近年のムスリムを中心とする非フランス人たちの大量移入やヨーロッパ統合に伴って薄らいできたのです。しかも、労働力としてのそれらの大量の非フランス人たちを抱え込んだため、職を失ってしまうフランス人たちが続出し、フランスは経済的に不振に陥ってしまいました。そして国内からは、自分たちが失業したのは、諸外国からやってきた外国人労働者たちのせいだという不満の声が相次いであがるようになりました。かつての気高きフランス人たちの誇りは、今やムスリムたちや他のヨーロッパ諸国によって無惨にも打ち砕かれてしまったのです。
このため、フランスの為政者たちは、薄らいできた自国民のナショナル・アイデンティティを再認識、再結合させるとともに、失ってしまったフランス人たちの誇りを再び呼び起こす必要がありました。国内の経済状態が不振に陥ったときに、時の為政者たちが出る行動とは、自国民にとっての共通のターゲットを仕立て上げ、それに向けて自国民を団結させようとすることです。そのためのターゲットとして選ばれたのが、フランス国内の「セクト」だったわけです。
●究極の「セクト」
かつてアメリカの第35代大統領だったジョン・F・ケネディは、「ひとりの人間が奴隷であるとき、すべての人間は自由ではない」とりましたが、世界中のあらゆる人々がお互いの自由を尊重しあうことは、私たちがこの地球上で平和に存続していく上で、間違いなく必要不可欠なものです。世界人権宣言の第一条は、「すべて人間は、生まれながらに自由で、尊厳と権利について平等である」と、人権の平等を保障していますが、この世界人権宣言の思想は、もともとは16、17世紀を通してヨーロッパに破局をもたらしたいくつもの宗教戦争を通して、相手と自分たちとの違いを理由にした戦争を早く終わらせて、いかにして平和を築けばよいかと人々が模索した中から生まれてきたものであり、この人権思想を支えるキーワードは、「自由」、「平等」、そして「寛容」です。
「寛容」とは、お互いの違いを認めあいながら平和に共存していこうとする精神であり、もともとは近代社会を形作る根本原則として、宗教的少数派の人権を守るために宗教的多数派(政府、国教)に対して向けられた要求でした。寛容は、根本的に宗教上の問題と非常に深い関係にあったのです。
そして、フランスがそうであったように、70年代からのキリスト教文化圏への大量移民労働力の発生に伴う、イスラムのような異なった文化、宗教、価値観の流入が国際的に起こったのを背景に、国連は創立50年にあたる1995年度を「国連寛容年」と宣言しましたが、その宣言には、人々の個性=差異性の容認こそが豊かな社会を築く基礎になるという思想がありました。寛容は、自分とは相容れない異質な価値観や世界観やそれらを持つ人たちを、自分と対等な立場での存在として認めることであり、それは異質なものを排除して達成するような平等ではなく、異質なものを受け入れてなお、お互いの平等を実現することを善しとします。
私はネオナチのイデオロギーにも、神や霊魂の存在にも真っ向から反対していますが、それでも私は、それらのイデオロギーが存在することを100%認め、彼らが「自分たちの意見を表現する自由を持つ権利」を支持します。
なぜならば、ひとりの自由は、周りの人たちの自由によって支えられており、ひとつの自由が奪われると、すべての自由が奪われるからです。私が支持しているのは、お互いの異なった宗教的世界観ではなく、「自分が持つ意見を自由に対等に表現できる権利」です。
寛容的でありえるというのは、お互いの違いを前提とした上で、意見を表現する権利を持つ主体としての存在を認めあいながら、対等に意見を交流しあうということであり、お互いの世界観に対してではありません。あらゆる人たちがお互いに寛容的であり続ければ、おそらく今よりももっと多くの宗教、哲学が現れてくるに違いありません。
「セクト」に「分断・切断」の意味があることはすでに述べましたが、少数派としてのセクトが、さらに分断して増え続けていくならば、そのもっとも究極な形としてのセクトは、おそらく「自分自身」になるのでしょう。すなわち構成員がたったひとりのセクトなのです。
その究極のセクトをもっとも特徴づけるものが、一人ひとりが持つ固有のDNAです。従って、究極的に寛容的であるのは、世界中に住むあらゆる人々が、自分だけのDNAから派生されるあらゆる表現を認め、彼らがそれぞれに持つ意識を表現する権利を認めることです。そして、お互いに違いを認め、お互いが表現しあう自由の権利を認めあうこと、それこそが「愛」なのでないでしょうか。
愛とは、その人が自分とは違った存在であり続けることを助けてあげることだと思います。
●排除の思想を越えて
1994年6月27日夜、長野県松本市の住宅街で、死者7人と負傷者約140人を出した無差別テロ事件が起きました。いわゆる「松本サリン事件」です。
この事件では、ナチス・ドイツが開発した猛毒のサリンがオウム真理教(現:ア−レフ)によって散布されたことがのちの調査で分かりましたが、事件当初、みずからも被害に遭った第一通報者の河野義行氏が、警察とマスコミによって容疑者として扱われたことは、今でも記憶に新しいです。そのえん罪の被害に遭った河野氏は、2003年1月11日付けの朝日新聞に掲載された『オウムと社会 排除の思想を越えよう』と題した手記の中で、今の日本社会の中には、法や公正さを軽視して、オウムの信者たちを地域や社会から排除しようという空気が感じられると述べています。
河野氏自身、なんの証拠もないままに警察にいきなり事件の犯人に仕立て上げられ、マスコミが増幅して河野氏を犯人として報道しました。その結果、被害者であるにもかかわらず、河野氏はいわれのない嫌がらせを長期間にわたって不特定多数の人たちから受け、甚大な精神的被害を被ったのです。
彼は、そのときの痛恨の経験から、たとえ無実であったとしても、ひとたび「悪いヤツ」というレッテルが貼られ、その人や集団を地域や社会から排除しようという気運が社会の中に形成されてしまうと、そうした世間の声は法さえ越えてしまう力となり、その結果、彼らに対する行為がたとえ違法であったり公正さに疑問が残るものであったとしても、それらは社会において是認されてしまう、と語っています。
そして彼は、自分が犯人として扱われていたときに感じた、法をも抑えつけてしまう強大な力が、オウムに対する今の社会の中にも感じられると語ります。今でも、オウムの信者だというだけで、その人の住民票を受け付けなかったり、信者の子どもの就学を拒否するということが、各地の自治体で堂々と繰り返しおこなわれています。
河野氏は、オウム信者に対するこうした社会の行為は、人々の声に自治体が対応した結果だが、憲法で保証された信教や居住の自由が認められておらず、あきらかに違法性が高いと述べ、社会から犯人扱いされた自分自身の被害経験と、社会のオウム信者たちに対する人権侵害の背景に同じ構造が見てとれると論じています。
私も、河野氏の意見に同感です。宗教的少数派は、彼らの哲学が社会に認められている主流の哲学と「異なる」というだけで、その集団のなかに属している人たちが罪を犯した場合、その個人が取り上げられるのではなく、その哲学、その集団そのものが非難される傾向にあります。そこには、圧倒的多数派である、主流の宗教に属している人たち、あるいは属していると思っている人たちは、自分たちこそは「正義」であり、自分たちの哲学と異なる哲学を持つことは罪であり許されない行為である、という優越感にも似た思いを感じることができます。彼らの中に潜んでいる意識は、ファシズム的でさえあります。
(もちろん、私はオウムが犯したいくつもの非人道的な行為を認めるものではありません。彼らがあのような暴力的な行為を正当化しようとする行為は決して許されるべきものではないと考えています。あくまでも「非暴力」が基本です。<下記の追補参照>)
ユダヤ人は毎日、法律違反で訴えられていますが、彼ら自身の宗教自身は非難されないにもかかわらず、宗教的少数派、いわゆるセクト(カルト)に属する人たちがなんらかの罪を犯すと、個々人の人間としてではなく、彼らが持つ哲学そのものが非難されますが、個人がおかした罪をその哲学と関連づけて哲学そのものを断罪する権利は、誰も持たないのではないでしょうか。
結局、大多数の人たちにとっては、一部の少数派の人たちが自分たちと違っていることが許せないのでしょう。そして、その少数派が、彼らの哲学のおかげで幸せであることは、もっと気に入らず、許せないのです。
しかし、主流派に属さない哲学が社会に数多く存在するということは、「ありのままの自分」を求めている人たちがそれだけ多く存在するということを意味のではないでしょうか。また同時に、既存の伝統的な哲学や宗教が、もはや人々の心の拠りどころとしての機能を果たさなくなってきたことを示しています。それだけ多くの人たちが、自分自身にほんとうに見合った哲学を欲しているのです。
ですが、新しい宗教は、社会に対して基本的に危険な存在として見られるのが常です。
なぜならば、新しい思想は、常に既存の社会的通念に揺さぶりをかけ、社会的秩序を乱すからです。それまでの慣習や風習に慣れ親しんできた多くの人たちにとって、居心地のよい社会の秩序を新しい思想によってかき乱されることは、この上なく不愉快に感じるのです。
キリスト教も仏教も、それらが興ったときには、世間からは、社会的な秩序を乱す危険分子と見なされていました。しかし、周囲から見れば、それがいかに奇妙奇天烈に見え、理解を超える内容であったとしても、人はそれぞれ自分にもっとも近い哲学に共鳴し、それが主流であろうが、いかに少数派で異端であろうが、その哲学とともに生きていく権利を持つはずです。人は、「ありのままの自分でいる」ことがもっとも幸せなのですから。
・・・・・追補・・・・・
●マーティン・ルーサー・キング牧師
世界中に無数に存在する、少数者からなる宗教(セクト、カルト)が不当な差別を受けることに対しては、闘う必要性を感じていますが、その闘いの根底にある哲学は、「非暴力」と「敵を愛する」ことであるように思います。
私は、「非暴力」はガンジーを、「敵を愛する」と言えばイエスを思い起こしますが、この二つの思想をかかげながら不当な差別と闘った人物と言えば、やはり私は、公民権運動を指導したマーティン・ルーサー・キング牧師を思い起こさずにはおられません。
1929年にジョージア州アトランタで教会の牧師の長男として生まれたキングは、17歳で牧師となり、1955年にアラバマ州モンゴメリーの黒人女性が、白人乗客にバスの座席をゆずるのを拒んだために逮捕された出来事をきっかけに、モンゴメリーの黒人たちとともに有名なバス・ボイコット運動を展開して、公共輸送機関での人種差別に抵抗しました。
この運動のリーダーだったキング自身は逮捕されて投獄されましたが、翌年、連邦最高裁判所が公共輸送機関での人種差別を禁じ、彼は勝利したのです。しかも、キングは非暴力によって勝利を手にしたのです。
こうしてキングは、1960年代の公民権運動の指導者として、黒人に対する人種差別と闘いましたが、彼は、憎しみと暴力に屈服して崩壊した今の社会の中で生きている人々を救うために、人類は「愛する」という自分たちの権利と義務を放棄せずに、人種差別を嫌悪しつつも、その一方で人種差別主義者を愛することが必要だと訴えています。
彼が公民権運動をおこなっていたある日、自宅に爆弾が投げ込まれたことがありました。それでも、爆破のニュースを聞いて戻ってきた彼は、怒りにふるえながら武器を持って集まってきた群衆を前にして、「暴力はなんの問題解決にもならない。憎しみには愛でこたえなければならない」と説いたといいます。
彼の著書である『汝の敵を愛せよ』(蓮見博昭訳 新教出版社)の中で、キングは「いかにして我々は自分の敵を愛するのか」という問いに対して、許す力に欠けている者は愛する力にも欠けているため、我々は許す能力を養わなければならず、敵が働く悪事がその人のすべてを完全にあらわすものではないということを認めなければならない。そして、その敵を打ち負かそうとしたりせずに、彼の友情や理解を勝ち取るように努めなければならない、と述べています。
また、敵を愛するべき理由として、彼は、「憎しみは、憎むその人にとってもまったく同様に有害であるが、「愛は敵を友に変える唯一の力」である。なぜならば、我々は、敵意を取り除くことによってこそ敵を取り除くことができるからである」、と述べています。あるとき、キング牧師はモンゴメリーでひとりの白人に襲われましたが、キング牧師は、自分を殴ったその男にとてももの悲しい赦しの顔を向けたといいます。
彼は、非暴力が人々に与える影響を信じていました。キングは、神学校3年生のときにガンジーの非暴力思想に強く影響を受けたそうですが、キリスト教徒であり、ガンジーを信奉していたキング牧師は言います。「あなたがたの肉体による暴力に対して、私たちは魂の力で応戦しよう。どうぞやりたいようにやりなさい。それでも、私たちは、あなたがたを愛するだろう。」
もちろん、相手のふりかざした暴力によって、自分自身ばかりか自分が愛する人たちも犠牲になるかも知れません。キング牧師は、それでもかまわないと言います。「平和を愛し、平和のために犠牲になることが必要である」と。事実、キング牧師も、ガンジーとおなじように非暴力を訴えながら、39九歳の若さで銃弾に倒れたのです。
●「敵を愛する」ということ
今でこそ、キリスト教は世界のなかでもっとも巨大な宗教として君臨していますが、今から2000年前には、キリスト教もローマ帝国内の弱小宗教的少数派のひとつでしかありませんでした。紀元64年7月にローマで大火災が起こりましたが、その火災は皇帝ネロが命じて起こしたものだという噂が広がりました。その疑いをそらすため、ネロはキリスト教徒に火災の罪を負わせ、キリスト教徒たちは、皇帝の庭園で飢えた獣の餌食にされたり、火あぶりの刑を受けるなど、非業の最期をとげたのです。
宗教的少数派が、為政者たちの陰謀の犠牲になるのは、今も昔も変わりません。
しかし、ローマ帝国内のキリスト教徒たちが、よく組織化された強固な教会を形成するようになっていったのは、このネロの迫害の試練を被ってからであり、ついにキリスト教はローマ帝国の国教となったのです。暴君ネロのキリスト教への迫害が、キリスト教徒を絶滅させるどころか、逆に強大化させたのです。
ローマ帝国の国教となったキリスト教は、その後勢いを増してヨーロッパを支配するまでに強大となりましたが、16世紀にマルティン・ルターがカトリックの腐敗と堕落に対する抗議運動を始めたことに端を発するプロテスタントの信仰が出現したとき、カトリック教徒たちは、かつて自分たちがローマ帝国から受けた態度と同じ態度をプロテスタントに向けたのでした。このときのプロテスタントは、かつてのローマ帝国のカトリックと同じく、弱小な新興宗教団体に過ぎなかったのです。
この壮絶な迫害から逃れるために、少数のプロテスタントは、新しい信仰の場を求めてメイフラワー号に乗って新大陸アメリカへ向かいました。その後、プロテスタントは急速に広まり、今では、アメリカ、カナダ、イギリスなどの先進諸国において、おもな宗教となったのです。
一方、キリスト教の母胎となったユダヤ教をベースとするユダヤ人は、第二次世界大戦時にヒトラーによって多くの同胞が殺害されましたが、この大虐殺がなければ、1948年のイスラエル建国はありえなかったのです。ユダヤ人たちは、紀元前13世紀頃にエジプトの奴隷として迫害されたことや、紀元前772年のイスラエル王国の滅亡、紀元前586年の第一神殿の破壊や紀元70年の第二神殿の破壊、そしてそれに続くディアスポラの苦難を、自分たちが神に背いたために与えられた「神の罰」としてとらえてきました。
しかし、彼らはホロコーストを、「神の罰」ととらえずにヒトラーの仕業ととらえたのです。ホロコーストを非ユダヤ人社会の仕業ととらえた彼らがとった政治的な行動の結果が、ユダヤ国家イスラエルの建国なのです。ユダヤの民を撲滅しようとした者たちは、その数年後に彼らの国が建国されるなどとは夢にも思わなかったに違いありません。
初期のキリスト教徒が獣の餌食にならなかったら、ヨーロッパがキリスト教国家で埋め尽くされることはなかったでしょうし、プロテスタントが宗教裁判の犠牲にならなければ、こんにちの先進諸国にプロテスタントが広まることはなかったでしょう。そして、ヒトラーがユダヤ人を根絶させようとしなければ、イスラエルの建国はありえなかったでしょう。
すなわち、2000年前、ローマ帝国の弱小な宗教組織にすぎなかったキリスト教が世界中に普及したのも、世界各地に散らばったユダヤ人がパレスチナの地に自分たちの国を建国できたのも、いずれも彼らを潰そうとした敵が存在したからでした。
イエスが「敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈りなさい」(『マタイによる福音書』5・44)と言った理由はここにあります。自分たちを攻撃してくる敵の存在は、自分たちを潰すどころか、むしろ大きく強くしてくれるのです。
●敵を友に変える唯一の力
数百万人もの黒人たちの中心に立って、非暴力で黒人解放運動をおこなったキング牧師は、黒人やキング牧師に敵意を持つ人々から石を投げつけられたり、何度も逮捕されては投獄されました。しかし、それでも彼は、1955年12月のモンゴメリー市の人種隔離バス・ボイコット運動から、1968年4月にテネシー州メンフィス市のモーテルのバルコニーで狙撃されるまでの12年4カ月ものあいだ、イエスの「敵を愛せよ」を終始実践し続け、非暴力主義を貫き通し、ついには、アメリカでそれまでまかり通っていた民族優位主義を排除し、それまでにはなかった政治力を黒人に与えることに成功したのです。
後年、彼の妻コレッタ・スコット・キングは、キング牧師と彼に従う人たちに対する一連の逮捕と暴力行為は、彼らを萎えさせるどころか、かえって人種差別に抵抗する人たちの団結力を強めて、非暴力運動への情熱をかきたてるだけだったと述懐しています。
迫害されることで、迫害された者たちは強くなるのです。迫害された者たちの夢は、迫害されることで消滅するどころか、むしろ実現に向けて前進するのです。自分に賛同してくれる人たちはもちろん、反対する人たちもまた、自分たちの夢が実現するために必要なのです。
一方、彼らにとってもっともつまらない存在は、自分たちの夢に無関心の人たちです。自分たちの夢や哲学、イデオロギーに無関心の人たちにとっては、自分たちの存在は無きに等しいのです。
だからこそ、イエスは「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と説いたのです。自分たちの夢の実現を妨げようとする者たちもまた、自分たちの夢が成長していくための糧なのです。
キング牧師は、「愛は敵を友に変える唯一の力であり、相手への敵意を取り除くことによってこそ敵を取り除くことができる」と語りました。人類を救う唯一の方法は、愛すること、哀れむこと、そして許すことだと思います。自分の友達を愛することはとても簡単なことですが、自分の敵を愛すれば、敵は誰もいなくなります。これこそが、人類が未来にむかって生きていくためになくてはならない事だと思います。
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