感じる。観じる。歓じる。歓汁?

(05/05/05〜)
「不老不死の生き物=ベニクラゲ」 06/02/08
「恋人とパートナー」 06/02/04
「好きだから一緒になる!」は正しいのか? 06/02/03
「ヤマアラシのジレンマ」06/01/28
「脳死」の奇妙さ 06/01/03
とても気に入った服があわなくなったとき・・・ 05/11/12
クローン技術について(最愛の人がなくなった時) 05/10/12
快楽の本質 05/09/30
自己表現することの大切さ 05/09/29
超お気に入りのカレー屋さん 05/09/25
料理教室 05/09/03
ご無沙汰しています! 05/07/24
托卵(たくらん)はとっても面白い!! 05/06/04
「Blogがすべてだった」――20歳ガングロ社長の“ギャル革命”
カルガモ日記・・・その2
カルガモ日記・・・その1
科学者が言ってはいけないこと? 05/05/17
ウォーターボーイズ2 05/05/10
ウォーターボーイズ!ウォーターボーイズ! 05/05/07
3年ぶりに更新!! 05/05/05


■不老不死の生き物=ベニクラゲ 06/02/08


みなさんは、「ベニクラゲ」という生き物をご存じですか?
直径1cmほどの小さいな生き物で、透明な身体の中央あたりに赤い斑点があります。


通常、クラゲは体外受精して子孫を残した後に死んで、海中に溶け込んでしまうのですが、ベニクラゲは、溶け込んでしまわずに、小さなかたまりになって、またそこから成体に成長しなおすんです。

つまり、「死なずに、若返っちゃう」んですね!


■ベニクラゲは、有性生殖後に若返る、唯一の多細胞生物なんです■


このベニクラゲの若返りのシステムが解明されれえば、人間にも適用できる可能性が生まれ、人間が不老不死になる事も夢ではなくなるというわけです。

「不老不死」というと、古来、実に多くの人たちが夢見てきたわけであり、人間の根源的な欲求と言えると思います。

ほかに不老不死というと、クローンを連想しますね。

最近は、コンピュータと脳を結んで、脳の情報をコンピュータに移すこともできるようになってきましたね。

ですから、自分の細胞を使ってクローン人間を誕生させ、そのクローン人間に自分の記憶(脳の情報)を移させる・・・という事も、あながち不可能ではなくなってくると思います。

自分の細胞から生まれたクローン人間に、自分の記憶を移植させると、生物学的にも自分と同じ、記憶も自分と同じクローン人間となって、アイデンティティが同じである「自分自身」が誕生するわけです。
そうやって不老不死を実現する事も、将来可能になってくるかもしれませんね!

「そんなこと、ありえな〜い!」・・・SFみたいですか??笑

いやいや、僕たちが今何気なく活用しているインターネットや携帯電話だって、昔の人たちから見ればSFの世界だったのですから、僕たちが今SFの世界だと思っている事も、僕たちの子孫にとっては、当たり前のように思われるようになると思いますよ。

1996年に、からだの細胞を使ってクローン羊が誕生しましたが、それまでは、そんなことは決してできないというのが、科学の常識でしたから。。笑

僕たちが持っている「常識」なんて、『あくまでも常識であって、真実ではない』わけですよね。。。

さて、ところで、みなさんは、昔から人間たちが恋いこがれてきた不老不死を手に入れて、今よりも何十倍以上も長生きできるようになったとしたら、しかも単に老いるのではなく、いつまでも若い身体でいられるとしたら、嬉しいですか?

それとも悲しいですか?
怖い?
不気味?

どう感じすか??


■「恋人とパートナー」 06/02/04


昨日の続きです。。。。


みなさんは、恋人とパートナーの違いって何だと思いますか?


同じように使っている人もいるでしょうし、区別して使っている人もいますよね。
僕は以前は、同じ意味合いで使っていましたが、最近ちょっと違うかな〜って思い出してきました。


■「ファンタジー」と「リアリティ」

当然、恋人がファンタジーの対象となり、パートナーはリアリティの世界の話になりますね。
言ってみれば、恋人は映画の中の世界、パートナーは、映画館を出た世界。。。かなって思います。

特に自分に子どもがいたら、ファンタジーで生きていくのはなかなか難しいと思います。
なぜなら、子どもは自分の心の外に存在する、自分とは別の別の人格だし、現実的な生き方を強要されますからね。。。


■向かう方向

恋人は「向かいあう」ものですが、パートナーは「同じ方向を向く」存在だと思います。

パートナーは一緒に歩いていく存在。。。
だから、向かい合っていては歩いていく事ができません。
同じ方向を向いていないと。。。


■価値観

パートナーは同じ方向を向く関係だと言いましたが、そのためにも、パートナーとうまくやっていくためには、やはり「お互いの価値観が同じ」である事が必要だと思います。

価値観とは何か?というと自分が心の底から信じているもの、という意味ですね。
信仰にも通じるでしょう。

たとえば、自分がキリスト教を心から信仰しているのに、相手が仏教やイスラムだとなかなかうまくいかないでしょう。

信仰という言葉ではないにしても、自分の世界観の根底にあるもの、、それがお互いに共通したものでないと、心から腹を割って話すことは難しいと思います。
また、腹を割ってありのままの自分をさらけ出せる相手、それがパートナーだと思います。

人を好きになるってすぐにできると思います。

「一目惚れ」という言葉がありますよね。
人間が五感から仕入れる情報の90%は視覚からだと言われています。
誰かを見た瞬間、心が射抜かれてしまうってこと、ありますよね。
その瞬間から、その人は恋に落ちてしまう。。。
ある意味で恋人は、すぐに出来てしまう関係かな。。。

とくに相手のことをよく知らなくても出来上がる関係、、、それが恋人だと思います。
極端な話、知り合った瞬間に恋人になることだってできるわけですね。


一方、パートナーは、相手の事をよく知らなくては成り立たない関係だと思います。
お互いによく知り合って初めて成り立つ関係、それがパートナーだと思います。



■時間性

簡単に言えば、恋人とは瞬発性が大事であり、パートナーは持続性が大事なのかなと思います。

恋人とは、読んで字のごとく相手に恋している必要がありますが、恋はホルモンの作用がなす業、ときめきと誤解(笑)の世界ですよね。
感情的で非理性的な気持ちになるのが恋人との世界。。。

一気にのめり込んでしまえるような世界、、、それが恋人じゃないかなって思います。
また、恋ってホルモン(エッチな気持ちになれるという事)の作用とときめきが大きな要因でしょうから、時間とともにそれらは必ず衰えてきますよね。
ですから、恋人は瞬発性のものだと思います。

ホルモンの作用が強烈すぎて、セフレを恋人と間違える人もいたりします。笑
とにかく、とても楽しくて浮き足立ってしまうのが恋人との関係ですが、その分、判断力も落ちてしまっていますよね。

一方、パートナーは、ホルモンやときめきがなくてもやっていける関係だと思います。
理性的な関係がパートナーじゃないかなと思います。
ですから持続性のある関係ではないでしょうか?

イメージとしたら、恋人は100メートル全力疾走。。。
とにかく全力で走る、走る。。。無酸素呼吸状態。
必死で何も考えず、周りの景色など見る余裕もなく、ただただひたすら前だけを見て思い切っり突っ走る。。。

パートナーはマラソン。。。
走っている間、山あり谷あり、雨が降ったり日が射したり、、、いろんなことがある。
いろんな事を感じながら、周りの景色も見ながら、そしていろんなことを感じながら考えながら走る。。。
途中で走るのをやめて、休む時もあるかもしれない。
そして、力をつけたら、また走る。。。

恋人とパートナーって、僕なりになんだかそんなイメージを持ちます。
(もちろんはっきりと区別できない場合だって多々あると思います。)



今、自分が心の中に思っている人がいるとします。
その人とは恋人でいたいのかパートナーでいたいのか、、、
お互いに心の距離感をどう感じるか、それもまた大切な問題ですよね〜

(相手との距離感がない方がいいと言っているのではありませんよ。
距離感については、先日ミクシイ日記に書いた「ヤマアラシのジレンマ」を読んでみて下さいね^^☆)

僕は、好きな人がいたら、その人とは恋人でありながら、パートナーでもいたいな〜って思います。
贅沢??笑


■「好きだから一緒になる!」は正しいのか? 06/02/03


好きだから一緒になる!」・・・

こう思って好きな人と結婚した人って世の中にたくさんいますよね。
でも、アメリカでは半分近くが離婚しているし、日本だって離婚する割合が増えていっていますね。二分に一組の割合で離婚しているって?

それに、離婚しないから、二人の間はうまくいっているんだという事にもなりませんね。

「多くの夫婦は、結婚しているのではなく、離婚できないだけだ」という言葉もあるように、離婚したくても離婚できなくて、ただ法律的に一緒になっているカップルも、とても多いですね。

でも、見合い結婚が主流だった昔ならいざ知らず、恋愛結婚するカップルがとても多くなっている昨今において、どうしてみんなうまくいかないんでしょう?

みんな、最初から離婚したくて結婚したわけではないでしょ。

ほとんどのカップルは、「彼が好きだから」「彼女が好きだから」でルンルンと結婚するわけでしょ。
でも、どうして、それからしばらくして、多くの人たちは離婚しちゃうんでしょう?
離婚しなくても、心の内側では「離婚したい」と思いながら、しっくりこない結婚生活を送っているんでしょう?

一緒にいながら、「こんなはずじゃなかったのに・・・」と思っているカップルってとても多いと思うんですね。

結婚前に思い描いていた彼(彼女)との甘くて幸せな生活は、もろくも崩れ去ってしまう。。


なぜ?



その理由は、「好きだから一緒になる」という、一見まったく当たり前だと思われている事が、実は間違っているという事にはならないでしょうか?

「お互いに好きなのだから、一緒になれば、楽しいに違いない、幸せになるに違いない」・・・

多くの人はこう思っているはず。。。

でも、これが間違っているのじゃないかなって思うんです。
その事は、今の世間の現状がはっきりと示していると思います。

「好きな人と一緒なれば、幸せになる」という発想が間違っているのじゃないかなって、最近思います。

考えてみれば、離婚しないとなると、結婚してから50年、60年と一緒に暮らす相手を、わずか数ヶ月、あるいは1年、2年で決めてしまうわけですよね。
これは、ものすごい賭けだと思います。笑
自分の人生の大半の土台を、わずか数ヶ月程度で決めてしまうんですから。
人生最大のバクチ 笑

しかも、その数ヶ月なんて、恋愛して、大なり小なりお互いに浮かれているような状態。
まともに冷静に判断できるような状態でもない。
その頃の二人は、「愛があるから、どんな事でも乗り越えられる」、「二人の愛は永遠!」などと意気込んで一緒になるわけですよね。


  「恋は盲目という。
    結婚は、視力を治してくれる」



すばらしい言葉!笑

しかも、今の日本の結婚制度は、一夫一婦制。
結婚なんて、「先着一名様に限り有効!」なんです。笑

結婚した後で、自分にとってもっと素敵な人が現れるかもしれない。
でも、先着一名様に限り有効な結婚制度では、その後の人は無効であって、枠外に放りだされてしまう。

で、結婚した後に、もっとステキな人が現れて、その人に心を許すと、いやからだまで許すと、不倫だ、浮気だなどと言って、法律を振りかざして断罪しようとする。。

浮気、不倫した相手を、愛ではなく法律で裁こうとする。。。
それは、もう相手を自分の元に戻すだけの愛や自分の魅力に自信がないから?

自分の愛、魅力だけでは応戦できないと分かると、今度は子どもを持ち出してきて、「子ども達が可哀想でしょ!」と居直ったりします。。

そして、時には、相手は、子どものために自分の元に戻ってくる事もあり、それで自分は、抜いた刀をサヤにとりあえず納めたりします。


どうして、こういう事が起こるのでしょうね?
結婚する前、あるいは結婚した当初は、「この人と一緒だと幸せになるに違いない」と思っていたはずなのに。。。
みんな、お互いに相手が好きだから一緒になったはずなのに。。。

要は、「好きだから一緒になるだけでは、幸せになれない」のでしょうね。
今の結婚制度だって、実情にあっていませんね。

どうして、結婚式の時に「変わらぬ愛を誓う」の?

「誓う」ということは、誓わないとできないって事ですよね。

「おなかが減っている時に食べる」というのは誓いにならないけど、
「おなかが減っている時に食べない」というのは誓いになるわけで。。。

結局、本来の欲求とは反対のことをしようとするから「誓い」が必要になる。

だから、「変わらぬ愛」なんて、本来の人間の欲求とは相反する事なんでしょうね。

だから、いろいろと弊害が出てきたりする。。。

長くなってきたので、続きはまた追って書きます。

「楽しみは外から、幸せは内側から・・・」

彼(彼女)は、自分にとって楽しみの一つであって、幸せそのものじゃありませんね。


■「ヤマアラシのジレンマ」06/01/28


「ヤマアラシのジレンマ」ってご存じですか?


ヤマアラシは、ご存じのように、全身にトゲがついています。

冬の寒い日、ヤマアラシはお互いのからだを寄せ合って暖め合いたいのですが、互いのトゲが痛くて、からだを寄り添って暖めあうことができません。

でも、離れると寒い。。。。

お互いに絶妙な距離感が必要なわけですね。
離れていたら寒いし、くっつきすぎると痛い。。。。

人間関係も、この「ヤマアラシ」なんでしょうね。。。

最もいいのは、お互いに尊重しあえて、調和的な関係が保てる距離でしょうね。

「スープが冷めない距離」という言葉がありますね。
同じように「愛が冷めない距離」ってあるのでしょうね。

近すぎると、重くてうっとうしく感じる。遠すぎると、冷めていってしまいそう。。。

だから、熱すぎず、冷めすぎず、適度な暖かさ、温もりを感じる距離。。。そういう距離をお互いに試行錯誤しながら見つけるしかないのでしょうね。

ヤマアラシは、からだにトゲを持っていますが、僕たちは、心にトゲを持たないようにしたいものですね☆


■「脳死」の奇妙さ 06/01/03


脳死」について、みなさんはどうお考えですか?

「脳死」について、実は、私たちは驚くほど(!!)何も知らないんです。。。


私の現在の結論は、「脳死を人の死と見なすことはできない」というものです。


脳死とは、「大脳」と「小脳」と「脳幹」の全て(全脳)が、不可逆的に、あるいは著しく低下した状態を言います。
(脳死は、脳幹が機能している「植物」状態とは異なります。)

脳幹は、呼吸、循環、体温保持などの生命活動一般の最高中枢ですので、脳幹の機能が低下、あるいは停止した「脳死」状態の人は、自発的に呼吸ができません。
従って、「脳死」状態の人は、「人工呼吸器」が必要不可欠になります。

「脳死」は、この人工呼吸器が開発された1960年代になって登場した新しい概念であり、それまではもう手のほどこしようがなかった人が、「脳死」と判定され、そしてその一部の人は、臓器を摘出されて、他の人に移植されるようになったわけです。

これが「脳死」による臓器移植ですね。

しかし、「脳死」が論理的に破綻していることは、今ではまったく明白になっています。


まず、「脳死」の人は意識がないと言われますが、「意識がない」という状態は、判定が非常に難しいんです。
「意識が存在しない」状態と、「意識が検出されない」状態とでは、全く異なるからです。

意識があるかどうかの判定は、頭皮に電極を当てて脳波を調べることによって行われますが、頭骨を透過することのできない微弱な脳波などは、検出する事ができません。

事実、今の判定方法で脳波が検出されなくても、脳により近い鼻の孔から電極を入れて検出した場合、脳波が検出されたという報告もあります。

すなわち、今の判定方法では、意識がないと判断されても、別の方法によると、しっかりと脳波が検出され、「意識がある」可能性がある、と見なされるわけです。


また、全ての脳の機能が止まったと見なされ、「死」と判定された「脳死」の人から臓器を移植する場合、その人にメスを入れると、その「脳死」の人は、汗をたくさんかきます。
血圧もグンと上がります。涙も出ます。

そして、なんと!、もがき苦しみ、激しく暴れるのだそうです。。。

「死体」が激しく暴れるんです!! \(@◇@)/


ですから、脳死の人からの臓器移植が盛んなアメリカでは、脳死の人からの臓器移植は、麻酔をしてから実施するのが「常識」だそうです。
日本の場合も同じ状況だそうです。

・・・<<死体に麻酔をかける???>>

とても奇妙な感覚を覚えてしまいますね。


「脳死」の人から臓器を取りだして、他の人に移植する場合、その臓器が「生きて いる」必要があります。
死んでしまった臓器では、役に立たないからです。

そこで考え出されたのが、「脳死」の概念です。
「脳死」の人からの臓器移植とは、結局、【『死んだ』と見なされた人から、『生きている』臓器を取りだして、他の人に移植する】医療なんですね。

「死んだ」と見なされる・・・つまり、「脳死」と判断されれば、身体(臓器)は生きていても、脳は死んでいる、だから、もうその人は死んだも同然なのだ、、という見方です。

しかし、とても単純に考えても、これは変だという事が分かります。
「脳死」の人は、体温が調整されていて、「脳死」の人に触れると、とても「暖かい」んです。
体温が調整されているという事は、脳が機能しているという事を意味します。

「脳死」は、全脳が機能停止している状態のはずですが、脳は機能しているんですね。
ですから、この状態をもってして「この人は死んだ」と見なすこと自体がおかしいと思われます。

アメリカは、「脳死」の人からの臓器移植が、日本よりも盛んです。
アメリカでは、もう回復する見込みがないと判断された患者は、たとえそれが脳死でなくても、治療をすぐに打ち切るのが日常化していると言います。
アメリカはプラグマティズムが発達した国ですから、実益があれば、どんどん推進する傾向にあります。

生きている人から臓器を摘出するのは殺人に当たるため、「脳死」の人を「死んだ」と見なせば、殺人になることなく、臓器を取り出すことができ、その臓器によって他の誰からが助かる。。。だから、それはそれでいいじゃないか。。。というのが、アメリカの発想です。


私が懸念するのは、「脳死」からの臓器移植を「いのちのリレー」などと賛辞する言葉に乗せられて、「脳死」の人からの臓器移植について、何も知らずに、何も知らされずに、「脳死」の人からの臓器移植に安易に賛同してしまう人が多いことです。


確かに、自分の死を無駄にしたくない。できれば誰かの役に立ててほしい・・・その思いは、とても尊いものだと思います。
しかし、その尊いせっかくの「善意」が「無知」から来ているとしたら・・・?

もし、多くの人が「脳死」についてもっと知るようになったら、いったいどうなるのだろう? と思います。


韓国の教授がヒトクローン胚からES細胞を作ったという事が、完全なフィクションだと分かり、韓国のみならず科学界、医療界にも激震が来ましたが、それでも、いずれその日は必ずやってくるはずですね。

そうなった時、今の「脳死」の問題は雨散霧消すると思います。
その日が楽しみです☆


■とても気に入った服があわなくなったとき・・・ 05/11/12


どんなに気に入った服があって、毎日それを着ていても、自分が成長していくと、いつかその服は自分のサイズにあわなくなってきますね。
自分の変化に服が合わなくなってしまいます。

でも、それでも、やはり気に入っているからと、無理にその服を着ていると、ついに大好きだった服は、破れてしまいます。

とても気に入った服がボロボロになるのがいやだったら、その服を着るのは諦めて、その時の自分の身体にピッタリあう、また別の気に入った服を見つけなくちゃいけません。
その方が賢明かなと思います。

人と人との関係もそうなのでしょうね。

どんなに気に入った人がいて、毎日会っていても、お互いに変化していきます。
昨日まで気に入っていた人が、今日はしっくりこない時だってあります。
今朝まであんなに気に入っていても、夕方にはそう思わない時だってあります。

それが続くと、やはり今の自分にはあわないのかなと思ってきますね。

それでもずっとその人とつきあっていると、どんどん相手とのズレ、自分の中に芽生えた違和感に気づいてきて、ついには、もしかしたら、それまで気に入っていたはずのその人がイヤになってしまうかも知れません。

そんな風になるのがイヤだったら、その時の自分の成長、変化に適した、別の人を探すべきなのでしょうね。

それは、自分が悪いのでもなく、相手の人が悪いのでもありません。「変化」するのは当たり前のことだから。。。

それまで気に入っていた人と過ごした日々は、自分の頭の中に、美しい思い出としてしまっておきましょう。


そうやって、人と人との出逢いは繰り返されるのだと思います。

二人が愛し合っている時、二人はいつも「永遠」を夢見ます。
いつまでもこの関係が続いてくれたらと思います。いや、続くに違いないと思ってしまいます。

その時に永遠を夢見た二人の気持ちは真実であっても、それが永遠に続くと思うのは、錯覚だと思います。

永遠に変わらないもの・・・
それは燃えないゴミと同じです。

世の中の全てのものは変化していきます。
ましてや、人の気持ち、自分の気持ちなんて・・・

秋(飽き)ですね。。。。。

ちょっとつぶやきたくなりました。。。


■クローン技術について(最愛の人がなくなった時) 05/10/12


クローンについて少し・・・。

「自分の子どものからだに欠陥があったり、事故で亡くなった時、その子にもう一度生きるチャンスを与えてやりたいという人をどう思いますか?」と聞くと、多くの人は「そうは思わない」と答えると思います。

でも、僕からみたら、この意見は、とても不思議です。

最愛の人の身体に欠陥があったり、あるいは遺伝的に重い病気があった場合、もしそれを救う技術が既にあった時、どうしてその技術を使って、その人を救おうと思わないのでしょう?

あるいは、最愛の人が亡くなった時、その人を生き返らせる事ができるとしたら、どうしてその人に生き返ってほしいと思わないのでしょうか?

愛が欠落しているのでしょうか???

いや、「想像力」が欠落しているのかも知れません。

そうなった時の事が、その人には想像できないのではないでしょうか?

想像力って「知性」だと思います。

アインシュタインも言いましたね。
知性の中で最も大事なのは想像力だって。。。

知性は知識じゃないですね。
想像力ですね。

ですから上に挙げた話は、愛の問題ではなくて、想像力、知性の問題なのかも知れないですね。

今でも、自分、あるいは自分の家族、恋人がけがをしたり病気になった場合、誰もが医者にかけこみますよね。
そして、できるだけ最先端の技術で治療してほしいと思うでしょう。
もしお金をたくさん持っているのでしたら、なおさらそう思うでしょう。

それと同じ事だと思います。

不慮の事故やテロなどで、最愛の人の命が奪われた時、誰しもが「この人を返して!!」と心の底から叫ぶことでしょう。
僕たちは、報道番組などで、よくそう言った場面を見かけますね。
僕がそういう場面に遭遇したとしても、そう思うに違いありません。。。

そして、最愛の人が亡くなった時、遺族は、亡くなった人の形見を抱きしめ、その人との思い出に浸ります。そして、傷ついた自分の心を必死で癒そうとします。

ですが、本当にその人が抱きしめたいのは、亡くなった最愛の人の形見などではなく、最愛の人そのものではないでしょうか?

その人が感じたいのは、亡くなった人との思い出ではなく、亡くなった人の暖かいぬくもりなのではないでしょうか。


もし僕の最愛の人が何かで亡くなってしまった時、その人を生き返らせる技術(クローン技術+記憶の移植技術)が使えるのでしたら、僕は一瞬もためらう事なく、その技術を使って、亡くなった最愛の人を生き返らせようとするでしょう。
そして、生き返ったその人と、再び抱き合うに違いありません。

それが愛であり、知性だと思います。

PS
亡くなった人を生き返らせる技術として、上に「クローン技術+記憶の移植技術」と書きました。

クローン技術は、オリジナルと生物学的に同じ遺伝子セットを持った人をつくる技術ですね。
ですが、仮にこの技術でクローンが生まれたとしても、オリジナルとは生物学的に同じでも、記憶や後天的に培われる性格は、オリジナルと異なります。

記憶の技術移植とは、オリジナルが持っていた記憶をそのまま、そのクローンにコピーするという技術です。
「そんなこと、できるのか??」と思われる方は多いと思います。
「そんなこと、できっこないよ!」と笑う人も多いでしょう。

では、逆にお聞きします。
できない理由を教えて下さい

できないと考える理由が、ただ自分の感覚やなんとなく・・・ならば、まるでアテにならないという事を認識して頂きたいと思います。

「できない」と答えるには、あらゆる可能性を全て否定したという事です。
どうして、あらゆる可能性を今の時点で否定することができるのでしょうか?

ましてや、「体細胞を使ったほ乳類のクローンなんて、絶対にできない」と長年言われ続けてきたことが、すでに今では当たり前のようにできているのです。
少し前までは、体細胞のほ乳類クローンなんて、まったくの夢物語でしかありませんでした。
世界中の科学者たちは、口をそろえて、体細胞のほ乳類クローンの可能性を否定していました。

今では、誰もそれを否定する人はいません。現実にできているのですから。。

記憶の移植技術にも、それと同じことが言えるのではないでしょうか?


■快楽の本質 05/09/30


(続きから)

この「反応」が何から出来ているか、つまり人間の行為が何によってなされるか、ご存じでしょうか?

それは「快楽」のためですね。
この事は、他のところでも詳しく述べました。

私たちの脳は、「世界最強の快楽マシン」です。
その脳が、常に快楽を求めているわけですね。

脳はどんな時でも「快楽」を選択しているのです。不快な状況が発生するたびに、それを快楽に向かわせるように、脳はその時点であなたの最も「快楽」を選択しようとするわけですね。

例えば、あなたがお風呂に入っているとします。そのお風呂が次第に熱くなってきます。

もしその熱さのままいれば、あなたはゆで上がってしまいます。それを不快に感じるセンサー「不快中枢」が脳にある意味は、常にこうした不快を快楽に変える作用を促すためなのです。
からだの知覚器官や神経のおかげで「熱い」と感じたら、水を足したり外に出たり、あなたを「快楽」の方向に向かわせます。

もちろん、その不快な温度は人によって個人差がありますから、低い温度が好きな人、高温が好きな人など、その「快楽基準」はさまざまです。
もしかすると、「やせるため」という別の目的のために熱さを我慢するということもあるかもしれません。
しかし、それも別の目的を遂行する快楽のために行うわけです。

こうして考えると、今あなたが向き合っているあらゆる出来事、さっきまで自分が行ってきたことも、すべて意味が分かります。
もしあなたが何もしていなかったら、それがその時にあなたが選んだ「快楽」だったわけですね。
(続く)


■自己表現することの大切さ 05/09/29


僕たちは、小さい頃からずっと、自己表現をすることを抑えられすぎてきました。そのために、極端な方法で自分の意志を表現してしまうことがあります。

最近よく問題にされている「キレル」人たちは、自分の感情や思いを適切にその場で伝えることができずに、胸の内にためた感情を爆発させることに間違った喜びを感じているのだと思います。

日本文化は、「以心伝心」「言わぬが仏」という言葉が美徳な言葉として受け入れられるような土壌にあります。

何も言わずに「あうんの呼吸」「一を言って十を知る」を求める日本人は、自己表現が非常に苦手です。

日本人である僕たちは、訓練だと思って、常日頃からもっともっと自己表現していきたらいいですね。
毎日がとても輝いていたあの子どもの頃の気持ちになって、あの素晴らしい感性を再び目覚めさせてください。

自分を表現することを恐れる必要は、何もないと思います。

自分が表現すれば、周りから必ずなんらかの「反応」が返ってきます。

それは、相手の自己表現ですね。
もちろん、「無視」も相手の自己表現ですね。

その反応は、必ずしも自分が予測したものとは限りませんし、だからこそ人生は楽しいのですが、自分の思い通りにならないからといって、それでがっかりする人や怒る人もいます。

自分が思っていない反応が返ってきたら、それによって、自分の表現方法を見直して改善することもできますし、自分と他の人との違いを理解し、違いを尊重する「反応」を再び相手に返すこともできます。

そのようにして、「反応」は「反応」を呼び、人生は反応の連続で満ちていることに気づくことができると思います。
(続く)                                            


■超お気に入りのカレー屋さん 05/09/25


前回のアップが料理教室だったというわけではありませんが、今回は、カレー屋さんのお話しを。。

僕が長年に亘ってずっと通い続けているカレー屋があります。
関西では知る人ぞ知る「インディアンカレー」。。

かれこれ、30年近く通っているのではないでしょうか!?
梅田、堂島、難波などにチェーン店がありますが、僕がずっと通っているのが、梅田の地下街にあるお店。

お店自体はとても小さく、カウンターのみの席で20人程度入れば満員になってしまう程度です。
ですが、このお店のカレーの味を求めて、平日の昼頃や夕方、夜にかけては、いつも行列ができています。

休みの日だって、やはり行列ができています。
男性だけじゃなく、若い女性もかなりいます。

お店の場所によってはメニューが異なりますが、梅田店では、カレーとハヤシだけ。
お客の回転も速く、席について数分後には席を立つという感じでしょうか。
それでも、次から次へとお客がはいってきます。

価格は、レギュラーで730円。カレーのルーを大盛りするとプラス200円です。
普通に盛られたルー自身も、たっぷりあるのですが、ルーがとてもオイシイので、ついルー大盛りに目がいってしまいます。

僕は最近、「レギュラー+ルー大盛りのパターン」(930円)ばかり。。。

肝心のお味の方はというと、これが筆舌に尽くしがたいほどオイシイんです。

最初一口めを口に入れた瞬間、まず感じるのは甘み。。。

「お!甘い!」と一瞬感じます。

しかし、甘口と思いきや、次の瞬間、それはよい意味で大きく裏切られます。
非常な辛さが舌を襲うんです。

これがもうやみつき。。。。で、30年近くも通い続けているわけで。。。笑
甘みと辛さの絶妙な味わい。。。。

また、このカレーと一緒に出されるのがキャベツを甘くした漬け物(?)。

これがまたとてもおいしくて、いくらでも食べられそう〜。

僕はいつも、カレーを食べる前に、まずこのキャベツを食べてしまいます。

以前、東京からやってきた女友達と大阪で会った時、夕方頃にこの梅田店に彼女を連れてきました。
カウンターの端に座って食べたのですが、カレーを一口食べた彼女は、「わ!おいしい!」と。

その後、キャベツを食べても、おいしい、おいしいを連発していた彼女は、とうとうそのキャベツをお替わりしてしまいました。50円だったと思います。

東京には、インディアンはないのでしょうか?
東京に進出したら面白いのにな、といつも思います。

また、このお店の店員さんの態度も、とても紳士的でいい感じです。
30年近くも通っているので、当然店員さんも入れ替わっているのが分かりますが、いつも中央付近で、ルーが入った鍋を管理している人の態度が、「ここの店のカレーはうまいんだぞ!」というプライドを持ちながらも、高圧的でなく、とても感じがいいです。

堂島のお店の方にもちょこちょこ通いますが、こちらは、梅田店と違って、ゆったりした雰囲気。。。

実は、昨日のお昼は堂島店で、今日のお昼は梅田店でカレーを食べたのでした。。。笑

辛いカレーがお好みの方は、ぜひ一度味わってみて下さい☆


■料理教室 05/09/03


またまたしばらく更新が滞ってしまいましたが、その間、今後の生き方についてあれこれ試行錯誤的な洞察があり、周辺の人たちも巻き込んで、なんだかある意味、非常に(いや、奇妙に)充実した時期を過ごしました。

で、いきなり「料理教室」のタイトルでアップするわけですが。。。汗
僕は、料理がまったくできません。
包丁なんて、一年に一度持つか持たないか。。。

もっぱら食べる方ばかりだったのですが、実はずっと、少しぐらい料理を作れないとまずいだろうな・・・と思っていました。
最近、将来設計に従って、料理を学ばねば・・・と思うようになってきました。

しっかり学んでおかなければ・・・


で、今、料理学校を探している段階です。
男性専用の料理教室もありますが、なんだかとても殺風景な気がして、行く気になれない。笑

まあ、確かにみんな似たようなレベルだからいいのかも知れませんが、楽しみながら学ぶという基本的な姿勢に欠けてしまうようで、男性専門の料理教室は避けたいと思います。

で、超初心者が学べるような教室で、自宅からあまり離れていないところを探しているわけですが、なかなか見つからない。あるいは、仕事の帰りに、仕事場の近くにある教室に通って、その後帰宅してもいいかなとも思うようになりました。

しかし、料理は、いろいろな材料を混ぜて、こねたり加熱したり、少し調味料を入れたりと。。。ある意味で化学実験に通じるところがあるように思います。

料理の感覚は、化学実験の要領だな・・・と勝手に思っているのですが、こんな心がけではダメなんでしょうかね??(^^;;)


■ご無沙汰しています! 05/07/24

いや〜、しばらくすっかりご無沙汰してしまいました。汗
更新が滞ってしまい、大変申し訳ありませんでした。

この1カ月の間、カルガモ日記を続けて書こうと思っていたら、いつの間にか子ガモが大きくなって、池から親子ともどもいなくなっちゃったし(笑)、近所につばめの巣ができて、卵が孵化して、それで子ども大きくなり、やはりいつの間にか巣立ちしていました。

ある日、見に行くと、からになった巣があるだけ。。。
昨日まで何匹もいたのに。。。

やはり巣立ったのでしょうね。

これと同じような事が、私生活にも起こりました。

この1カ月弱の間に、なぜか立て続けに人間関係が大きく変わり、この1カ月間は、まさしく僕にとっては激変の1カ月でした。 

ふと気がつくと、精神的にちょっと成長していたりして・・・笑 ←どうかな〜? 笑

また、これからちょこちょこ更新していこうと思います。

今回、「クローン人間誕生以後」(徳間書店)に載せた、ラエル氏とボワセリエ博士へのインタビューをWeb公開しました。

ラエルは、地球上の生命の起源は、異星人エロヒムによる遺伝子操作によるものと主張する人で、僕の哲学に大きな影響を与えた人。
1997年に、クローン羊ドリーの誕生のニュースが世界を一瞬に駆け抜けて、世界がまだ震撼としていた時、ラエルは、クローン人間を創造するベンチャー企業を創設したと、公言しました。このニュースもとても大きなインパクトでしたね。

そのベンチャー企業の跡を継ぐものとして創設されたのが、クローン・エイド社。
読んで字のごとくクローンを支援する会社で、ここでクローン人間を作るというもの。

責任者は、ブリジット・ボワセリエ博士という女性の方。
2001年の年末に世界初のクローン人間イブを誕生させたという事で、世界中が大騒ぎしたので、記憶に新しい人も多いと思います。

その後、数十人のクローン人間を誕生させたとのことですが、いずれも科学的な証拠が提出されていないので、その真偽は闇のなかのまま。

僕が、ラエルとボワセリエ博士にインターネットを使ってインタビューしたのは、クローン人間が生まれたと報道される約半年前の、2001年5月頃(だったと思う)。

クローン技術は、その後どんどん改善され、世の中も、いつもの事ながら、徐々にアレルギーなく受け入れられるようになりつつあると思う。

クローン人間については、またどこかで改めてお話しします。


■托卵(たくらん)はとっても面白い!! 05/06/04


私のHPの他の箇所にも繰り返し書いていますが、私は「進化論」に大きな疑問を持っています。

進化論が疑問に思える動物の生態の面白い生態の一つに、「托卵(たくらん)」というものがあります。
私は、これは実に面白いっ!と思っています。

カッコウは、別種の鳥の巣に自分たちの卵を産んで、自分たちは何もせずに、その鳥たちに自分たちの卵の面倒を見させるんです。
カッコウは、そのためにいくつかの「策略」をしっかりと持っています。

カッコウの親が産んだ卵は、面倒を見させる他の鳥の卵と「実にそっくりにできている」という事!
見た目は、私たちが見てもほとんど分からないぐらいです。
当然、何も知らない他の種の鳥の親は、カッコウの卵を、自分の子供だと思って暖めます。

さらに、カッコウは、一緒に暖められている他の種の鳥の卵よりも「早く孵化(ふか)」します。

なぜ、早く孵化するのか??
これが実に驚きなんです。

他の種の鳥の卵よりも早く孵化したカッコウのひなは、眼も開いていない状態で、同じ巣の中で暖められている他の種の鳥の卵を、なんと次から次へと巣から落とすんです!!

カッコウのひなは、それらの卵を背中に背負って、巣の縁まで持って行って、両足をフン!と踏ん張って背を伸ばして卵を巣から落とすんです!
眼の見えない状態で! 生まれてすぐのひなが、です。

当然、これらの卵は地面に落ちてつぶれてしまいます。

その結果、どうなるか??

自分の子供たちの卵が地面に落とされたことを知らない他の種の卵の親は、カッコウのひなを自分の子供だと思って、せっせとエサを運んできます。(カッコウは、自分の子供の卵が巣から落とされても、まったく知らない顔をしています。)

その結果、カッコウのひなは、そのえさを「独り占め」できるわけです。。。

カッコウのひなが、一緒に暖められていた他の種の鳥の卵よりも早く孵化するのは、このためんです!

なんというすばらしいシステム!!!

しかも、カッコウのひなは、くちばしを開いた時の口腔や咽頭の斑紋までもが、自分が死なせた他の種の鳥のひなとそっくりなんです!
だから、何も知らない他の種の鳥の親は、見事にだまされてしまうんです。

この托卵の見事なシステムが、遺伝子のコピー・ミスのでたらめな積み重ねによって説明できますでしょうか???

人々は、托卵のシステムを知って、次のように言うでしょう。
「素晴らしいカッコウの知恵だね。。。」

いや、それを言うなら、「素晴らしいデザイナーがいるんだね!」でしょ。

かつては、この托卵のシステムを数年前に知って、その素晴らしさに驚いたのですが、その托卵の動画があります。
托卵についてあまりご存じのない方は、ぜひご覧下さい!!


托卵の動画!




■「Blogがすべてだった」――20歳ガングロ社長の“ギャル革命”  05/05/25


いや〜、おもしろい記事でした☆

「Blogがすべてだった」――20歳ガングロ社長の“ギャル革命”


「革命」と言えば、日本のブログ人口は330万人強とも、その半分の160万人(一人で2本のブログを持つため)とも言われていますね。
急速に社会に浸透したブログですが、そのブログによって社会が動いた例が先日ありましたね。

あまり嬉しくない事例ですが、JR西日本の脱線事故に対するマスコミの報道を巡ってネット世界で大きな話題になり、JR西日本幹部の記者会見での「言動」が問題になった読売新聞大阪社会部記者の実名がブログで暴露され、ついには読売新聞社側が謝罪するに至りました。

アメリカでは、ブッシュの軍歴疑惑報道でブログで大騒ぎになった結果、幹部数名が辞任し、最近では、CNNテレビのニュース部門の最高責任者が米軍をめぐる不謹慎発言をネットで大いに追及されて辞任するに至っています。

いずれも、ネット(ブログ)の力が社会を動かした事例だと思います。

「わたしの論点」にも書きましたが、例のアメリカによるイラク侵略の時も、「第2のスーパーパワー」として、ネットの世界で大勢の人が反対運動を起こしましたね。
かつては、反対運動と言えば、プラカードを持ってデモをしたり、どこかで講演をしたりというのが主流でしたが、ネットの世界だと何十、何百万人もの人たちが一つの共通の目的に向かって動く事ができますね。
しかもほぼ瞬時に。。。 お金も時間もあまりかける事なく。

かつてアメリカ第3代大統領トーマス・ジェファーソンは、「新聞を読んで、何が起こっているかを知っていると考える連中は、哀れなものだ」と語りましたが、これは、為政者たちの都合のよいように流されるプロパガンダを、疑うことなく信じる「純真な」大衆を嘲笑したことばと受け止められます。

ネットのおかげで、大衆は真実をつかむ事ができるようになりました。
(もちろん、為政者側の思惑で、故意にニセの情報をネットに世界に流布させるなんてことは、よく行われているようですので、注意が必要ですが・・・)

これからネットは、さらに技術が進歩していき、ハイパーリアリティの世界が繰り広げられていくことでしょうね。


■カルガモ日記・・・その2 05/05/19


今日、職場のカルガモがいる池に行ってみました。
そしたら、カルガモの母親が、いつもお世話をしている人と間違えたのでしょうか、僕の方によってきて、僕に向かってくちばしをフガフガとパクパクさせていました♪
子ガモたちも母親のそばで気持ちよさそうに泳いでいました。

小屋の中にある卵は、まだ卵のまま・・・
もしかしたら、あのままかな???

池の中の鯉といっしょにカルガモたちも、気持ちよさそうに過ごしています・・・


■カルガモ日記・・・その1 05/05/18


僕の職場の池にカルガモの親子が現れました。
かわいい〜〜!
思わず携帯で写真を撮ったのですが、うまく撮れていなかったので、次回にはちゃんと写真をお見せいたしますね。

池の中には鯉もたくさん泳いでいて、その中をカルガモの母親と小さな子供たち5匹が泳いでいました。
小屋の中にはさらに1個、卵が置かれており、もうすぐ孵化するのでしょうね☆

時々お世話をしている人によると、前は子どもカルガモが10匹いたのだそうですが、翌日見てみると5匹に減っていたそうです。
鳥か何かに取られてしまったのでしょうか?(涙)

でも、水面をすいすい泳いでいるカルガモ親子を見ていると、とても気持ちが和みます・・・^^

これから時々、カルガモ親子の様子をお知らせしますね♪


■科学者が言ってはいけないこと? 05/05/17


科学者が言ってはいけない事・・・それは「出来るわけがない」ということと「存在しない」という事だと思います。
どちらも可能性を完全に否定する言葉です。
出来る可能性は0%、存在する可能性は0%・・・どちらもそう言っています。

しかし、「出来るわけがない」と言われ続けたものの、現に「出来てしまった」ものだってたくさんあるわけです。
有名なところでは、体細胞を使ったほ乳類のクローニング。。。

動物の身体は、生殖細胞と体細胞に分けられますが、体細胞を使ったほ乳類のような高等生物のクローニングは絶対にできないと、長い間、世界中の科学者たちに言われ続けてきました。
科学者たちが「絶対にできない」と言うのですから、一般の人たちは、その言葉を鵜呑みにするしかありません。

しかし、1996年のクローン羊ドリーの誕生(公表は1997年)によって、「絶対に出来ない」と言われ続けてきた事が、出来ちゃったわけです。
科学的な常識がもろくも崩れ去った瞬間です。

「存在しない」という事も同様です。
何かによって観察、評価された結果、目的とするものが存在しない結果となっても、それはあくまでも「その観察、評価方法では、存在しなかった」というだけであり、別の観察方法、評価方法では、見つかる可能性だってあるわけです。

脳死の話については、またの機会にお話したいのですが、脳死であることの一つの判断基準として、日本で唯一の脳死基準となっている竹内基準では、「意識がないこと」が挙げられています。

問題は、その評価方法です。
意識の有無を確かめるために、頭皮に電極を貼り付けて脳波を検出するのですが、脳波が平坦だと「意識がない」と判断されるわけです。

しかし、微弱な脳波や、脳の表面近傍ではなく、脳の奥の方で脳波が発生していたとしても、頭皮、頭蓋国によって脳波が吸収されたり、雑音に紛れてしまったら、たとえ脳波が存在していたとしても、正確な脳波がキャッチできなくなり、「意識は存在しない」と判断されてしまいます。

ですから、そんな場合でも、「意識がない」のではなく、「意識が存在しない可能性がある」という事になると思います。
他の観察方法では、脳波が検出される可能性もあるわけです。

「出来るわけがない」「存在しない」という言葉は、科学技術が発達するに従って、簡単にひっくり返る可能性を常に秘めているわけですね。


■「ウォーターボーイズ2」 05/05/10


これまでずっと「ウォーターボーイズ」を観てきましたが、今日、初めて「ウォーターボーイズ2」のDVDを借りて観てみました。
いや〜、こちらもなかなか面白いです☆
ストーリーとしては、前作の方が面白く、最後のシンクロ公演の内容も、前作の方が僕の好みだったのですが、今回は主人公が良かったです。(もちろん、前作の主人公役の山田孝之もとっても良かった!)

これらのドラマを観ていつも思うのは、いろんな苦難を乗り越えながら、ひとつの事をがんばってやり遂げる姿に、みんな感動するのかなと・・・

昔、「青春とはなんだ」「これが青春だ」という青春ドラマがありましたね。
その時の主題歌を歌っていたのが、布施明で、その布施明は、前作で高校の教頭役を演じていました。

小学生の頃、このドラマを見ていたのですが、当時はラグビーものでしたね。
小学生なりに、感動して観ていた記憶があります。


あれから30年以上経つんですね。。。。(汗)

でも、青春ものっていいですね☆


■「ウォーターボーイズ!ウォーターボーイズ!」 05/05/07


今、僕が一番気に入っているドラマが「ウォーターボーイズ」

僕は、ドラマはもともとほとんど見ないのですが、ひょんな事からこのドラマを見て、それ以来ハマッてしまいました。
「ウォーターボーイズ」は、映画版とTV版(2003年、2004年)がありますが、僕が気に入っているのは、2003年版のTVドラマ。。。

NHKの朝の連続ドラマ「ちゅらさん」にも出演していた山田孝之が主人公で、男子高校生たちのシンクロがテーマです。
とにかく、痛快なドラマ!
笑いあり、涙少しあり、感動ありで、見た後は、いつも力が湧いてきます。

シンクロ公演の時の挿入歌もなつかしくてとってもグッド!
ミッシェルの「シェリーに口づけ」や「ジンギスカン」など、う〜ん、懐かしい〜!って思っちゃいます。

DVDボックスもAmazon.comで中古を買いました。
中古と言っても、まったく新品同様でグッドでした☆

毎日このドラマの音楽を聴きながら(今も聴いている♪笑)、楽しんでいる今日この頃です〜


■「3年ぶりに更新!!」 05/05/05


いや〜、実に3年ぶりの更新です!! 大汗

まったく更新していなかったので、この際、大幅に更新しました。
大きく更新したところは、次の3点

 ・「謎解き聖書」「複製された神の遺伝子」の全文をWEBで公開
  (図、表、写真の一部は非掲載)
 ・わたしの論点を追加
 ・ことばの穂


削除した項目もあります。
なるべく頑張って更新を続けようと思います。。。。。
 m(__)m

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