読谷村の挑戦

沖縄本島中部の西側、東シナ海に突き出た場所に読谷村がある。村の総面積に占める米軍基地の割合は、1972年の沖縄の日本復帰時で73%、現在でも47%にのぼる。

1974年、当時39歳だった山内徳信(やまのうちとくしん)さんが読谷村の村長になった。当然、行政の最大の課題は「基地の返還」である。
まず村の真ん中に居座る米軍飛行場(読谷補助飛行場)を返還させることであった。

「返せ」と言って返ってくるなら簡単である。しかしそうはいかない。そこで彼が考えたのは「軍民共同使用」という方法である。日米地位協定第2条4項には、

「合衆国軍隊が施設および区域を一時的に使用してない時は、日本政府は、臨時にそのような施設および区域をみずから使用し、又は日本国民に使用させることができる」

とある。読谷飛行場は訓練のない日は誰でも自由に入ることができる。地位協定の条文には、建物を建ててはならないとの規定はない。彼はそこに注目した。

まず村営野球場「読谷村平和の森球場」が出来た。それから10年、今度はすぐ近くに村役場の新庁舎まで建ててしまった(98年)。結果的に米軍基地は縮小を続けざるを得ない。山内さんはこう言う。

「球場を建てれば高いところにポールも立つ。いずれは夜間照明用の鉄塔も必要になる。(パラシュート訓練の)妨げになるようなものをどんどん作れば、基地の早期返還につながる。」

それからも福祉施設などの人が集まる公共施設をあえて飛行場の敷地すれすれの場所に次々と立てた。基地の危険性を日米政府や村民に日常的に感じさせることで、双方の意識改革を図ろうとしたのだ。「矛盾は発展の原動力」と。

(「沖縄近い昔の旅」 森口 豁著  凱風社  1999年 より要約)

 

姫子: これはすごい発想の転換だよねえ。だって実際に日常的に物資が空から落ちて屋根を突き破ったり、トレーラーが落ちてきて、小学生の女の子が死んじゃった事件とか、あったわけでしょう?それをあえて飛行場の中に施設をつくるっていうのは、姫子には思いつかないなあ。いつ何が起こるかわかんないのに村の人がたくさん来る場所を作るなんてさー、普通なら基地から遠ざけようって考えそう。

Dino: “普通”の方法では訴えることが出来やんのと違うかな?基地があることのほうが“異常”なんやから。そやけど、読谷の村長さんはエライこと考える人やで!日米双方の意識改革を図るために、村民をある意味犠牲にしてるんやからなー。。。。

姫子: 犠牲になってるかなあ?危険と隣りあわせってことだよねえ。でもこれは下手にデモしたり、抗議集会開くよりも基地縮小には効果あるよね。そういう意味では村の人は賛成してるんじゃないかなあ。

Dino: 読谷村にある読谷補助飛行場は、パラシュート降下訓練の機能を伊江島補助飛行場に移すことで全面返還されることが日米特別行動委員会(SACO)で合意されてるらしいよ。

姫子: 縮小といって、他のところに移しても根本的には解決されないよねえ。まあ、これは沖縄基地問題全体に言えることなんだけど。伊江島にだって人は住んでるでしょ。

 

 

          

<読谷村新庁舎レポート>

行ってきました、読谷村新庁舎。嘉手納ロータリーを抜けたちょっと先です。
周りは見渡す限り、さとうきび畑で、上に書いたように元米軍飛行場の滑走路跡なんかもはっきりわかります。米軍が縮小したあとなので、今はもう「基地の中にある」って感じはあんまりしませんでした。

姫子:きれいな建物だったよねえ。なんかリゾートホテルみたいだった。

Dino:でも周りの道路が広くて、あきらかに滑走路だった、って感じがしたね。

姫子:米軍が縮小したんだなーってはっきりわかったよね。土曜日だったせいもあるけど、静かで誰もいなくて。子供たちが涼みに来てたね。

Dino:確かに米軍が縮小したって感じはあったけど、沖縄の人たちの基地に対する想いの象徴みたいだったね。あの庁舎は本土からの業者が建てたわけじゃないんだよねー。「沖縄の人たちの手で建てられた」ってすごく感じた。

姫子:帰りに読谷のちょっと南にある北谷を通ったら、北谷市の市役所も基地のど真ん中にあったね。こっちは最近建てられたみたいで、基地もまだすぐそばにあったけど。これから読谷のように縮小していくのかな。

 

 

 

 

正面から見た読谷新庁舎。シーサーがちゃんといます。 入り口の横には憲法9条が書いてある碑がありました。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 

  

非核宣言の碑もありました。 入り口の右側のシーサー。左には「自治の郷」と書いてある。