| 姫子のおじいちゃん、おばあちゃんは、、、 沖縄戦のことを調べるにつれ、55年前、自分たちのおじいちゃん、おばあちゃんはどうしていたのだろう?と疑問がわいたので、(なぜか)母に話を聞いてみました。
<父方の祖父>
当時は畑しかなかった東京・世田谷に住んでいたおじいちゃんは警察官だった。米屋の紹介でおばあちゃんと結婚。きまじめ、頑固な性格で、剣道、柔道など武術に励む。
第2次大戦の時は初期のころ、つまり日本が調子のよかったころに徴兵され、中国、そしてビルマ戦線で戦う。まじめな性格だったため、国のために、と勇んで戦争に出かけた。その後マラリアにかかったところで、徴兵期間が終わり、帰国。
姫子が7歳の時に亡くなった。「はらぺこあおむし」という絵本を読んでもらったことしか記憶にない。
<父方の祖母>
東京大空襲のときは、生まれたばっかりの姫子のお父さんを抱いて、畑の中、どうしようどうしようと右往左往。
(それしかお母さんも聞いていない様子。)
<母方の祖父>
埼玉県川越市に生まれる。明るい性格で、酒と美味い飯が大好きだった。父方の祖父より年が下なので、第2次大戦も末期のころに召集された。
「天皇なんか、手ぬぐい1枚、米1升もらったこともない。なんでそんな人のために死ななければならないんだ」と思い、徴兵検査の1週間前から飲まず食わず、睡眠不足で、よれよれの状態で検査を受けた。
「お前の家柄なら、近衛兵(天皇を直接守る軍隊・身分が高くないと入れない)にも入れたのに、そんな貧弱な体ではだめだ。残念だ」と言われ、乙兵に分類され、とりあえずの召集はまぬがれた。これで酒が飲める、と喜びながら家に戻る。
しかし、いよいよ本土決戦、というムードの中、男は手足がついていれば誰だっていい、という状態になった。そこで乙兵の彼も千葉の海岸に召集され、塹壕堀りをやらされることになった。
戦争に行くなら絶対に死ぬと思い、「死ぬ前に後継ぎを残せ」と周りに言われて、どうせ死ぬんだから誰だっていい、と写真だけで結婚相手を決める。
東京大空襲の時、南の空が真っ赤に燃えるのを他人事のように見ていたという。
千葉で塹壕を掘っている間に8月15日をむかえた。
<母方の祖母>
11人兄弟の一番上。戦争当時はすぐ下の妹が軍事工場で働いていたという。
そんな中、家の裏の畑にB−29が墜落する。機体の破片を拾いながら、「こんな田舎にまで爆撃機がやってくるなんて日本はもうだめだ」と思ったという。
妹が働いている軍事工場も標的にされるかもしれない。今日明日にでも妹を家に戻すには、自分が結婚して家を出て行けばよい、と考え誰でもいいから結婚相手を見つけてもらう。
最近のアメリカテロ事件で「空襲とか、特攻とか、昔の日本を思い出したよ」と言っていた。
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