某新聞、家庭欄に載っている、
このコラムを楽しみにしている一人ですが、
今朝は連休の一日でもあり、のんびりしていたせいか
読んでいて 思わず声を出して笑ってしまった。
小説やコラム宛に
手紙などが届くというのが この日の話。
抜粋させていただくと、
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☆・・・・・・小説の中で
“老人がどっこいしょ、といって たちあがった”
と書いたことに関して
長文のお手紙をいただいたことがある。
あなたは、老人が 「どっこいしょ」 といって
たちあがった、と書いておられるが、
これはまちがいである。
わが国では古来、座るときにのみ、
「どっこいしょ」、というのであって、たちあがる場合には、
「よっこらしょ」、というのが正しい。
今後、文章を書かれる際には、十分、留意されたい.。
なーるほど。しかし、なぁ。 と・・・☆
そんな話が続き面白かった。
文を自在に操って、人を感動させる!
なんとも羨ましいと思ってはいたが、
広く読まれるということは、それなりに
苦労があるものなのだと気の毒にさえ。
でもねぇ、なんか変じゃない、
そりゃ、間違えては いけない基準があるでしょうが、
音楽だって、絵画だって、
自分の表現方法があるんじゃないの。
薔薇の花びらは、こうなっているものと言われても、
自分の方法で、自分の感じた薔薇を
書くのが作品じゃないのかしらねぇ。
涙の出る様だって、自分が感じるのと、
誰かさんが感じるのとは違う。
突然、誰もいないと思っている暗闇から
人が飛び出したら、
「ぎゃ〜」 というか 「きゃ〜」 というか
「誰だぁ〜」というか
「・・・・・」 と 腰を抜かすか。
言葉に限らず、
絵も音楽も生きていてこそ表現できるものだから
もっと柔軟に解釈して(読んで)もいいんじゃないか、
と考えるのはちょっと甘いのかしら。
